◇◆◇日々のみ言葉
2019年8月19日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き15章5節】
15:5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所から、さらに学びたいと思います。
使徒パウロは、次のことを書簡に書き記しています。
ガリラヤ人への手紙によりますと、
『それから十四年たって、私は、バルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、無駄にならないためでした。
しかし、私と一緒にいたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を強いられませんでした。
実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。
私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。
そして、おもだった者と見られていた人たちからは、(彼らがどれほどの人たちであるにしても、私には問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません。)そのおもだった人たちは、私に対して、何もつけ加えることをしませんでした。
それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。
ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒として下さったのです。
そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。(ガラテヤ人への手紙2:1~2:9)』と書かれています。
ここに書かれていることが、第一回教会会議のことなのかは、実は分かりかねます。なぜならこの後、使徒シモン・ペテロがアンテオケ教会を訪問しにやって来るからです。
ただ、ここからはっきりしていることは、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と唱える者たちを、パウロは、はっきりと「にせ兄弟たち」と言っていることです。
今、現在の教会の中においても、「にせ兄弟」あるいは「にせ信者」が存在することは、有りうるのです。
その一番の特徴は、「裁く」ことです。人を批判ばかりします。教会を、牧師先生を批判し裁くのです。その言葉は、毒とトゲに満ちています。
私たちは、気をつけなくてはなりません。主イエス様が言われた通り、先走った裁きをしてはならないのです。裁き主は、主イエス様だけです!
主はすべてを明らかになされます。》