• 2019年9月8日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年9月8日第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書19章12節~16節】 (新約p.201下段左側)
    19:12 こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
    19:13 そこでピラトは、これらの言葉を聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語ではガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。
    19:14 その日は過越の備え日で、時は第六時頃であった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」
    19:15 彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」
    19:16 そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。

    ◎メッセージの概要【カイザルのほかには】
    《ポンテオ・ピラトはイエス様が無実であることを三度も証言しました。そして何とかイエス様を釈放しようと努力していました。そのことを察したユダヤ人の指導者たちは、
    「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」と、激しく叫んで言ったのです。
     大祭司カヤパを含むユダヤ人指導者たちは、ピラトの官邸にイエス様を連れて行った時、次の理由で訴え出たのです。「この者はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。この者は、ガリラヤからエルサレムまで、ユダヤ全土で教えながら、この民を扇動しているのです」と。
     つまりローマ帝国の反逆罪として訴え出たのです。単に神への冒涜罪では、死罪にすることが出来なかったからです。
     この時の大祭司を始めユダヤ人指導者たちは、高圧的にピラトと対峙していました。もし釈放するならば、ローマ本国にいるカイザルに直訴すると言う決意を見せていたのです。妻からの忠告にも耳を傾けず、自分の政治生命の終わりの危険を察したピラトは、ついに観念し、イエス様を引き出して、裁判の席に腰掛けます。
    「さあ、あなたがたの王です。」
     かつてのイスラエルには王政は存在してはいませんでした。「さばきつかさ」が納めていたからです。最後の士師サムエルの時代に、ことが起こったのです。サムエルは指導者として、国を良く納めましたが、家庭ではそうではなかったのです。サムエルの二人の息子の代となりますと、父と同じように神様と共に歩まず、賄賂を取ったり、曲がったさばきをしていたのです。そこで、民の長老たちはサムエルに願い出たのです。
    「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立てて下さい。」と。
     このことは、サムエルの気分を害しましたが、神様に祈ると何とお許しが出たのです。
    その後、最初の王「サウル王」が誕生することになります。サウルが選ばれた理由は、イスラエルの勇士の中で、頭一つほど誰よりも背が高かったからです。
     ピラトは、軽蔑の意を込めて言いました。「さあ、あなたがたの王です。」
     しかし、この言葉は、聖霊が彼の口を用いて言わせたことです。そこに、「王の王、主の主」なるお方が、「ユダヤ人の王」が、立っておられたのです。
    「除け。除け。十字架につけろ。」
    「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」
    「カイザルの他には、私たちに王はありません。」
     この言葉を叫んだのは、祭司長たちです。イスラエルの霊的権威は、大祭司に与えられていました。しかも大祭司は最高議会の議長なのです。この年の大祭司はカヤパなのです。
     この言葉の持つ意味はとても重大です。この時、神様の守りがイスラエルから、そしてエルサレムから取り去られたことを意味しています。そして王であるイエス様を拒否した時に、彼らは、自分たちの王だけではなく、自分の国を失うことになるからです。
     ルカは、イエス様が、エルサレムの滅亡を予言されたことを書き記しています。
    「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都にはいってはいけません。これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
     この預言があったからこそ、エルサレムにいた信徒たちは、全員が脱出し、また死を免れたのです。しかも、指揮した将軍ティトスこそ、その当時のカイザル、ウェスパシアヌスの息子であり、後のカイザルなのです。
     この時に、「カイザルの他には、私たちに王はありません。」と答えた祭司長たちは、紀元70年のエルサレム陥落の最後まで、カイザルに反抗し続けます。ティトスは、彼らを裁きます。 この時から、もうイスラエルには王がいなくなるのです。しかし、やがてピラトが「あなたがたの王です。」と言ったお方が、本当に王となる時が、間もなく来ようとしています。
     ヨハネは黙示録において、このような幻を書き記しました。
    『「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。」』と。
     このお方こそ、すべての人の主であり、まさしく「王の王」なるお方です。私たちは、このお方を信じ信頼し、そして従って行くのです。》

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