◇◆◇日々のみ言葉
2019年9月19日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き16章6節~8節】
16:6 それから彼らは、アジヤでみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
16:7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
16:8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
◎ショートメッセージ
《昨日と引き続き同じ箇所からとなります。
さて、昨日は、一行のその後の行動について考えて見ることにしました。そして今日は、「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」ことについて考えて見ることにしましょう。
パウロとシラスと助手のテモテは、フルギヤ・ガラテヤの地方の境界線あたりを、通り抜けて行きました。そしてムシヤの近い所に来たのです。ムシヤとは、小アジヤ北西端の地方のことです。ここには有名なトロイ戦争の古戦場がありました。
そこに来た時のことです。一行は、ビテニヤに向かおうとしましたが、イエス様の御霊がそれをお許しにならなかったとのことです。
これはどのようなことなのでしょうか。
「アジヤでみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられた」ことについて、私たちは学びました。それと同じような状況ではないかと思えます。しかしルカは、あえて書き方を変えているのです。
もし同じ状況のことが起こったとしたら、この時も「聖霊によって、ビテニヤに行くことを禁じられた」とは、書かないでしょうか。
ここに、神様の現われ方が違っていることが計り知れるのです。
つまり、最初の時は、預言者シラスに聖霊様が「預言」として示されたことであり、今回は、もっと明確に、主イエス様ご自身が、幻となって現われたと考えられないでしょうか。
イエス様の御霊、すなわち聖霊は主イエス様の霊であると言われています。聖霊様がご臨在される時には、主イエス様もそこにおられることを意味しています。私は、パウロとシラスに目に見える幻の形で、主イエス様が現われて下さったと信じるのです。
一行は、ムシヤを通りすぎて、トロアスにやって来ました。
トロアスとは、小アジヤの北西部ムシヤ地方にあって、エーゲ海に面する港町のことです。この町は紀元前4世紀末にアンティゴノスが建設し、アンティゴニヤと呼びましたが、彼の死後間もなくアレキサンドリヤ・トロアスと改められました。
そして一世紀のローマ時代、アウグストゥス帝からトラヤヌス帝の頃に最も繁栄したのです。パウロとシラスが訪れたのは、丁度その頃です。現在でもその遺跡は、残されていて、見ることができるそうです。
現在においても、イエス様はご自身を現わすことがあります。聖書によりますと、父なる神様の右の座に座しておられますが、そこに縄や鎖で縛られているのではありません。ご自身の意思で、その座から離れることもお出来になられます。
しかし、主ご自身は復活の体を持っておられますから、同時に偏在することは出来ません。それは聖霊様の成される御わざであるからです。
主イエス・キリストは、昔も今も同じなのです。》