◇◆◇日々のみ言葉
2019年9月18日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き16章6節~8節】
16:6 それから彼らは、アジヤでみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
16:7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
16:8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
さて、昨日は、「アジヤでみ言葉を語ることを聖霊によって禁じられた」ことについて考えて見ました。
今日は、その後の行動について考えて見ることにしましょう。
パウロとシラスと助手のテモテは、フルギヤ・ガラテヤの地方の境界線あたりを素通りしました。そしてムシヤに差し掛かる所に来たのです。
ムシヤとは、小アジヤ北西端の地方のことです。時代によって、独立した州となったり、リュディア、カリヤ、フルギヤと合併されてアジヤ州を構成したりしていました。
ここには有名なトロイ戦争の古戦場があったと言われています。
そこに来た時のことです。一行は、ビテニヤに向かおうとしました。
ビテニヤとは、小アジヤ北西部にあって、黒海の南に位置する地方のことです。西にはムシヤがあり、南はフルギヤとガラテヤ、東はパフラゴニヤに接していました。
そこを流れるサンガリウス川とレバス川の流域には肥沃な平野が発達しており、小麦やぶどうなどの果実栽培に適していたと言われています。
かなり長くビテニヤ王国の統治が続きましたが、紀元前74年にローマに吸収され、またポントの王を、ローマ将軍ポンペイウスが打ち破り、その後ビテニヤはポントと併合され、ビテニヤ・ポントと呼ばれるようになったのです。
パウロは第2回伝道旅行の折にこの地方の伝道を計画しましたが、聖霊様は彼をトロアスからヨーロッパへと導いたのです。
ビテニヤ地方にだれが主イエス様の福音を伝えたのか不明ですが、比較的早い時期から主の教会が存在したと伝えられています。
ペテロの手紙によりますと、
『イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。(第Ⅰペテロ1:1~1:2抜粋)』と書かれていて、この地方に信者がいたことは明白です。
また、2回の教会会議で有名なニカイアは、この地方にありました。
特に、第1回世界教会会議と言われたニカイア総会議は、紀元325年、ローマ皇帝コンスタンティーヌス1世により招集され、「三位一体」の教理を確立した、最も重要な教会会議であったと言われています。》