◇◆◇2019年10月6日第一主日礼拝
◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書19章31節~37節】 (新約p.202下段左端)
19:31 その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。
19:32 それで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。
19:33 しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。
19:34 しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。
19:35 それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。
19:36 この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」という聖書の言葉が成就するためであった。
19:37 また聖書の別のところには、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る。」と言われているからである。
◎メッセージの概要【目撃した者」】
《まず、「その安息日は大いなる日」と言うことですが、ニサンの月の14日金曜日であり、その日没と共に、午後6時から始まるニサンの月15日は、過越の祭の第一日と重なる日と言う意味になります。
よって大祭司たちは、安息日が始まる前に、十字架につけられた者を埋葬する為、その死を早めることをピラトに願ったのです。足の骨を打ち砕くことによって囚人は窒息死します。 ここにも神様の摂理が働いています。兵士はまず左右の強盗のすねを折ります。そして次に、主イエス様のすねを折ろうとするのです。
しかし、すでにイエス様は息絶えられており、ローマ兵の一人が、わき腹から心臓にかけて槍を突き刺すのです。すると「血と水」が出たわけです。
ヨハネは、預言の成就と書き記しています。詩篇34篇には、『主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。』と書かれているからです。
また民数記には、「過越のいけにえ」の規定が次のように定められています。
『「イスラエル人に告げて言え。あなたがたの、またはあなたがたの子孫のうちでだれかが、もし死体によって身を汚しているか、遠い旅路にあるなら、その人は主に過越のいけにえをささげなければならない。
第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。種を入れないパンと苦菜と一緒にそれを食べなければならない。そのうちの少しでも朝まで残してはならない。またその骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。」』と。
ここから、イエス様は、まさしく「神の小羊」として、最後の「過越のいけにえ」となられたことが、証明されているのです。
次に「彼らは自分たちが突き刺した方を見る」と言う預言は、紀元前520頃に祭司ゼカリヤによって預言されました。ゼカリヤはおもに、「主の日」について、多く預言しています。『その日、私は、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。私は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、私を仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。』
イエス様を槍で突き刺したのは、異邦人であるローマ兵でしたが、その発端の動機は大祭司たちにあります。それゆえ、「自分たちが突き刺した者」となっています。
黙示録では、イエス様の再臨の時に、この預言が成就することを明らかに示めしています。
『見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。』
つまり、その時生き残っているすべてのユダヤ人が、イエス・キリストこそ自分たちの真の救い主であることを知るのです。メシヤは、二千年前に来られていたことを知るのです。
このように、旧約聖書の中でも、また新約聖書の預言の中でも、まだ成就していない預言は数多く残されています。
さて本日のメッセージタイトルは「目撃した者」ですが、実は、9章35節に、『それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせる為に、真実を話すということをよく知っているのである。』と書かれています。 この箇所の解釈から、これがヨハネとは別の弟子であると主張する聖書学者が多くいます。
その根拠は、ヨハネの福音書18章にあります。
『シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れてはいった。』と言う箇所です。
この「もうひとりの弟子」はヨハネではなく、ヨハネと何時も一緒に行動している弟子で、しかも身分が高く大祭司と知り合いであると言うのです。
つまりガリラヤ湖の一介の漁師が大祭司と知り合いであるわけがないと言う勝手な推測から判断していることになります。また、主イエス様の母マリヤを引き取って、家に連れて帰ったから、イエス様の最後の場面と埋葬にはヨハネは立ち会っていないと主張するのです。
どうやったらそのような解釈になるのか分かりませんが、「もうひとりの弟子」は、ヨハネ自身です。
その証拠は、イエス様が復活された朝、マグダラのマリヤが、ペテロとヨハネに主の復活を知らせる場面に描かれています。
『さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。
「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりは一緒に走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布と一緒にはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。そのとき、先に墓についたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。』と。
ここではっきりと、「イエスが愛された、もうひとりの弟子」であることが明確にされています。もし「もうひとりの弟子」がヨハネとは別人であるならば、ヨハネは、はっきりとその名前を明らかにするはずです。自分であるからこそ、あえて伏せているのです。
主イエス様がゲッセマネで捕らえられてから、裁判、十字架、埋葬まで常に目撃した者として、証人として見届けたのは、使徒ヨハネなのです。その理由は、主イエス様の十字架から、60年以上後に「第四福音書」を書く為なのです。》