◇◆◇日々のみ言葉
2019年10月7日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き16章25節】
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
◎ショートメッセージ
《パウロとシラスは、女奴隷の主人に捕らえられ、ピリピの長官の所へ連行されました。ここで「長官たち」と複数形が使われていますことは、長官と他の役人のことを表わしているからです。幸いテモテとルカは、逃れることが出来たようです。
女奴隷の主人たちの訴えを鵜呑みにした長官は、ふたりにむち打ちの刑を命じました。そして、むち打たれたふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じたのです。看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足かせを掛けました。
なぜパウロとシラスはこんな目に遭わなければならなかったのでしょうか。明らかに、これは女奴隷の主人たちの妬みとはらいせから来るものであって、自分たちには非はないはずです。
しかし実際は、主人たちの収入の糧を奪う結果になったことは間違いのないことです。
また女奴隷は「占いの霊」から解放されましたが、彼女自身も自分の仕事を失ったことには、これも間違いのないことなのです。
パウロは、あまりにこの女奴隷が自分たちを妨害する為に、「占いの霊」に命じて追い出したのですが、このことが果たして良かったかどうかは分かりかねるのです。
なぜなら、聖書は、この女奴隷が主イエス様を受け入れて救われたとは、書いていないからです。人には意思があるからです。(意思はまさに石のようですね)
主イエス様を、真の神の御子として、メシヤとして信じ受け入れることは、最後はその人自身の意思によって決断しなければならないからです。救いは奇跡なのです。
しかし、すべての事柄は、主イエス様の御手の中において成されていますから、最後の結果を見なければ、分からないことでもあるのです。
さて牢に入れられたその日の「真夜中」のことです。おそらくむち打たれた傷の痛みに、パウロとシラスは眠れぬ夜を送っていたに違いありません。しかもその傷の手当ては何もなされず、おそらく血がしたたり落ちていたことでしょう。
しかし二人は、主イエス様に祈りつつ賛美をしていたのです。また、ほかの囚人たちも聞き入っていたとあります。
そして神様の時に、超自然すなわち奇跡が起こることになるのです。明日も同じ箇所から、さらに考えて見たいと思います。》