◇◆◇日々のみ言葉
2019年10月8日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き16章25節】
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、他の囚人たちも聞き入っていた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所から、さらに考えて見たいと思います。
主イエス様は十二使徒に言われました。
『「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりも私を先に憎んだことを知っておきなさい。
もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえって私が世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
しもべはその主人にまさるものではない、と私があなたがたに言った言葉を覚えておきなさい。もし人々が私を迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らが私の言葉を守ったなら、あなたがたの言葉をも守ります。」(ヨハネの福音書15:18~15:20)』
パウロとシラスは、異邦人の町であり「小ローマ」と言われた、その地方第一の都市ピリピで福音を語りました。しかし「占いの霊」に取り憑かれていた女奴隷を解放し自由にしたことによって、その主人たちに訴えられ、捕らえられ、むち打たれ、牢獄に入れられてしまったのです。
なぜこんな理不尽なことが起きるのでしょうか。まさにイエス様が、最後の晩餐の席で、十二使徒たちに語ったこのメッセージの中にその答えがあるからです。
イエス様は、同国民であるユダヤ人から迫害を受けました。そうであるならば、弟子たち、そしてクリスチャンは、同じように迫害を受けると言われるのです。
なぜなら、これは霊的戦いであるからです。パウロとシラスの敵は、そして私たちの真の敵は、悪魔・悪霊どもなのです。この世なのです。
後にパウロは、ピリピ教会宛に、「ピリピ人への手紙」を書き送っています。その趣旨は、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」であって、別名「喜びの手紙」とも言われています。しかもこの手紙は、ローマの牢で書かれたと言われています。
この時でも、まさにそれを実行しているのです。パウロとシラスは、神様を褒め称え賛美しているのです。心を併せて祈っているのです。
その賛美を、祈りを聞いている人々がいました。それが囚人たちです。しかも二人は、牢の一番奥の部屋につながれていたのです。よって、その牢にいたすべての囚人たちが、二人の賛美と祈りに耳を傾けていたことは間違いないことでしょう。
普通、こんなふうに、身の覚えのない罪で、むち打たれ、牢に入れられたとしたら、落ち込むのが当たりまえです。
不平と不満と罵りの言葉が出て行くのが当然です。しかし彼らは、一言もそんな言葉を語らず、ただただ神様を褒め称えていたのです。
ここに、主にある「勝利」の秘訣があるのではないでしょうか。》