• 日々のみ言葉 2019年10月16日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年10月16日(水)

    ◎聖書箇所【使徒の働き16章37節~39節】
    16:37 ところが、パウロは、警吏たちにこう言った。「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」
    16:38 警吏たちは、この言葉を長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、
    16:39 自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。

    ◎ショートメッセージ
    《夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、看守に「あの人たちを釈放せよ。」と命じたのです。
     そこで看守は喜び勇んで、この命令をパウロとシラスに伝えました。
    「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事に行って下さい。」

     ところが、二人は牢から出ようとはしませんでした。普通ならば、誰であっても無罪放免となれば、一刻も早く牢から出て行きたいものなのです。
     しかし、この二人は違っていました。しかも看守が驚くべき事実を、パウロは明らかにするのです。

    「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」

     この時、看守は悟ったはずです。本来ならば、この二人は牢に入るべき者たちではなかったことを。そして、さっそくそのことを警吏に伝えました。

     すると長官たちは、自分の足で牢まで出向いて来て、わびを言いに来たのです。

     ここでも明確な真実があります。長官たちもローマ人であるはずです。それにも関わらず、なぜ恐れる必要性があると言うのでしょう。
     もちろんローマ人である者を、ろくに取り調べもしないでむち打ちの刑に処すること自体、確かに失態であると言えるでしょう。
     しかし「ローマ人」と「ローマ市民」はやはり違うと言えるのです。

     使徒の働きによりますと、
    『彼らがむちを当てる為にパウロを縛った時、パウロは側に立っている百人隊長に言った。
    「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」
     これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、
    「どうなさいますか。あの人はローマ人です。」と言った。
     千人隊長はパウロのところに来て、
    「あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ。」と言った。
     パウロは「そうです。」と言った。すると、千人隊長は、
    「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ。」と言った。そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です。」と言った。
    この為、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れた。(使徒の働き22:25~22:29)』と書かれています。

     ピリピの長官たちは、パウロとシラスのふたりを牢の外に出して、町から立ち去ってくれるように頼みました。》

Comments are closed.