• 日々のみ言葉 2019年12月17日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年12月17日(火)

    ◎聖書箇所【使徒の働き19章10節】
    19:10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主の言葉を聞いた。

    ◎ショートメッセージ
    《パウロはエペソの再訪すると、以前と同じように毎安息日ごとに、ユダヤ人の会堂にはいって、主イエスによる「神の国」について、大胆に語りました。しかもそれを三か月の間、毎週行なったのです。そして、そこに集まってくるユダヤ人たちを説得しようと努めたのです。
     しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったのです。おそらく宗教指導者たちではないのでしょうか。
     パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、別な場所に移動しました。それが「ツラノの講堂」です。

     さて、エペソには、公的な場所が多くあったようです。今で言うならば、公会堂もしくは公民館にあたるものです。ただしこの場所は。私的な場所であったようです。
     ツラノとは、その行動の持ち主であったのか、あるいはその講堂のメイン講師であったのかは分かりませんが、毎日開かれていたようです。
     当時、イオニヤの町々では、午前11時から数時間は、昼寝の為にあらゆる公の活動は停止されました。エペソでも同じであったのです。

     「ツラノの講堂」においても、午前11時までは使われていて、その後は空いていたのでしょう。その時間をパウロは使わせてもらったと言うわけです。
     パウロは、おそらく午前の早い時間は、アクラとプリスキラ夫婦と共に「天幕作り」に専念し、午前11時からの暑くて大変な時間を、伝道に用いたわけです。
     西方本文では、「毎日ツラノの講堂で論じた」の文章に、「第5時から第10時まで」と言う句が加えられています。これは午前11時から午後4時までのことを指します。
     つまり、午前11時に、ツラノの講堂使用が終わると、そのあと5時間パウロが、そこで伝道に使ったことを説明しているのです。

     ユダヤ人の会堂では、毎安息日ごとでしたが、ツラノの講堂では、毎日、主のみ言葉と福音を語ったのです。しかもそれが二年の間も続いたと言うのです。よって、アジア州に住む者は、皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、パウロを通して主イエスの言葉を聞いたと言うのです。

     これは驚異的なことです。
     おそらく日毎に、多くの人々が「ツラノの講堂」に押しかけて行くのを見た人々が、口コミによって、さらに集まるように、急速的にみ言葉が広まって行ったのではないでしょうか。

     この頃、アジア州に多くの教会が誕生します。「ツラノの講堂」で救われた人々が、パウロの教えに従って、自分たちの住む場所に教会を設立して行ったと言うのが、どうやら真相であったかも知れないのです。》

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