◇◆◇日々のみ言葉
2020年1月29日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き20章22節~23節】
20:22「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
20:23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」
◎ショートメッセージ
《パウロがミレトにおいて、エペソ教会の長老たちに語った「惜別のメッセージ」の内容について引き続き学んで行きます。
パウロはエペソ教会の長老たちに語っていますが、「このメッセージは、すべての教会の長老もしくは責任者に向けて語られたものでもあります。」と尾山令仁先生は言われています。
尾山先生によりますと、このメッセージは、大きく三つに分けられます。まず、エペソにおける自分自身の働きについて回顧しているのが、18節から21節、そして次にパウロの心境について語ったのが、22節から27節、そして最後に28節から35節までが、将来に対する忠告を与えたものであると言うことです。
今日からは、ちょうど真ん中の部分にあたります「パウロの心境」について学びます。
「いま私は、心を縛られて」とは、彼がエルサレムに上ることは、聖霊の導きであって、しかもその導きは単なる導きではなく、命令でもあると言うことです。
また、
「聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っている」、と言うことは、どの町においても「なわめ」と「苦しみ」がパウロに施されると言う意味ではなく、エルサレムにおいて「なわめ」と「苦しみ」が待っていることを、エペソ教会を出発した時から、ミレトに来るまで寄って来た町々で、何度も同じことを語られたと言うことです。
そして、
「エルサレムに上れば、そこで私にどんなことが起こるのかわかりません」と、パウロは言っていますが、まさしくパウロの心の中に、恐れがあったことが分かります。
この時、パウロがミレトを出航する前に、エペソ教会の長老たちは、彼にエルサレムに上ることを止めるよう懇願したに違いありません。
また、再びエペソ教会に戻って指導して来れるようにも懇願したに違いありません。
しかし、パウロの意思と決意は固かったことが分かります。なぜなら、パウロは常に主イエス様に、そして聖霊様に従って来たからです。》