◇◆◇日々のみ言葉
2020年1月30日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き20章24節】
20:24「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
◎ショートメッセージ
《パウロがミレトにおいて、エペソ教会の長老たちに語った「惜別のメッセージ」の内容について引き続き学びます。
パウロは、このように自分のことを書簡に書き記しています。
『競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(第Ⅰコリント9:24~9:27)』
「私が自分の走るべき行程を走り尽く」すことこそ、パウロの願いであり、また、たとえエルサレムにおいて、命を落とそうとも、「主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら」ば、本望ですと言っています。
では、なぜ、エルサレムでパウロは危険にさらされるのでしょうか。それは、サウロとして、以前に行なったキリスト者への迫害の故であることは明白です。
使徒の働きによれば、
『サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。(使徒の働き8:1~8:3)』と書かれています。
確かに、今は主イエス・キリストの弟子として、全く変えられ、迫害者サウロから異邦人の使徒パウロになっているのですが、その当時の信者や、家族たちの深い傷は、未だに消えてはいないはずです。
そればかりではありません。以前は、ユダヤ最高議会の議員でもあり、また1世紀最大のラビであるガマリエル1世の一番弟子であったのです。
これはエルサレムのパリサイ人や律法学者たちからは、羨望の的でもありました。その者が自分たちを裏切ったわけです。
エルサレムは、事実上パウロの敵だらけであった、と言っても良いくらいなのです。》