◇◆◇日々のみ言葉
2020年2月1日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き20章26節~27節】
20:26「ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。
20:27 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」
◎ショートメッセージ
《「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。」
これはどのような意味なのでしょうか。
使徒の働きには、
『アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。 それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。
これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主の言葉を聞いた。(使徒の働き19:1および19:8~19:10)』と書かれています。
つまり、エペソの人々だけでなく、何とアジア州に住む者は、ユダヤ人もギリシヤ人も、パウロを通して主イエス様のみ言葉を聞いた、と言うことなのです。
またパウロは、このように書簡に書き記しています。
『キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、言葉の知恵によってはならないのです。
十字架の言葉は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。
「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみ心によって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(第Ⅰコリント 1:17 ~ 1:24 )』と。
そして、
「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」と宣言しています。
パウロは、神様による救いの計画、すなわち主イエス様の十字架と復活を、エペソ中の人々に余すことなく語り伝えたのです。
あとは、パウロの言葉を聞いた人々が選択するだけです。つまり「永遠のいのち」か「永遠の滅び」のどちらかをです。この方以外に、「救い」はないのです。》