◇◆◇日々のみ言葉
2020年5月13日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き26章16節~18節】
26:16「『起き上がって、自分の足で立ちなさい。私があなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後私があなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
26:17 私は、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
26:18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、私を信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』」
◎ショートメッセージ
《「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」
「主よ。あなたはどなたですか。」
「私は、あなたが迫害しているイエスである。」
サウロは、「ナザレ派」に属する者たちを迫害して来ました。しかし、それは、彼らを迫害するのではなく、主イエスご自身を迫害することであると、主は言われるのです。
そして、主イエス様が光として降って来られた時、サウロと同行した者は、地面に倒されるのです。それは、紛れもなく神様の臨在による圧倒的な力の現われであったと思われます。
主は、ご自身が誰であるのか明確にされた後、語られた言葉が今日の聖書箇所になります。
「起き上がって、自分の足で立ちなさい。」
倒された者は、起き上がらなければなりません。倒された者は、自分の足で立たなくてはならないのです。
「倒される」と言うことは、確かに肉体的に地面に倒されることを表わしていますが、それだけではありません。精神的にも倒されることをも含んでいます。
多くの人々は、「肉体的」よりも「精神的」に倒される場合が多いのです。しかしこの時のサウロは、両方の面において倒されたのです。この後、彼はあまりのまぶしい光の為に、盲目にされてしまいます。
「起き上がって、自分の足で立ちなさい。」
主イエス様の命令は、倒された者に対して、まことに愛のないような冷たい言葉のように感じられます。しかし、起き上がる為には、そして自分の足で立つ為には、その人の意思が必要であり重要なのです。そこに信仰の何たる所以があるかと思うのです。
そして大切な真理があります。それは、起き上がろうと決意した者には、立ち上がろうと決意した者には、主イエス様が手を差し伸べられ、助けて下さると言うことです。
私たちは、倒れてしまったら、誰もが自分一人の力では、立ち上がることは出来ないのです。だからこそ、主イエス様が、神様が必要なのです。
パウロは証しします。
『私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。(第Ⅱコリント4:8~4:9)』と。
明日も同じ箇所からとなります。》