• 2020年5月24日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年5月24日 第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き1章15節~26節】
    1:15 その頃、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていたが、ペテロはその中に立ってこう言った。
    1:16 「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書の言葉は、成就しなければならなかったのです。
    1:17 ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
    1:18(ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
    1:19 このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
    1:20 実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、他の人に取らせよ。』
    1:21 ですから、主イエスが私たちと一緒に生活された間、
    1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動を共にした者の中から、誰かひとりが私たちと共にイエスの復活の証人とならなければなりません。」
    1:23 そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
    1:24 そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
    1:25 この務めと使徒職の地位を継がせる為に、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示し下さい。ユダは自分の所へ行く為に脱落して行きましたから。」
    1:26 そしてふたりの為にくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。

    ◎メッセージの概要【使徒の補充】
    《十一使徒は、オリーブ山からエルサレム市内に入り、泊まっている家の屋上の間に上がっりました。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであったことをルカはあえて書き記しています。
     実は、この書き方には特徴があるのです。つまり二人一組になっています。最後だけが「アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダ」と三人の名前が挙げられています。
     この事から、イスカリオテのユダと組んだのはヤコブの子ユダであることが分かります。二人とも名前はユダですから、あえて区別する為に、「イスカリオテの」「ヤコブの子」と言う呼び方をしたことからも察することが出来ます。
     その頃、その屋上の間には百二十名ほどの兄弟たちが集まっていました。ユダヤ社会は男性社会ですから、女性と子供は数には入れず、実際の所は、多くの人々が、その場に集まっていたことが分かります。
     使徒のリーダー、ペテロが呼びかけます。
    「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書の言葉は、成就しなければならなかったのです。ですから、主イエスが私たちと一緒に生活された間、いつも私たちと行動を共にした者の中から、誰かひとりが私たちと共にイエスの復活の証人とならなければなりません。」と。
     主イエスの公生涯の始めの頃から、十二使徒以外に弟子たちが存在していたことは事実です。その事をルカは、
    『その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。(ルカの福音書10:1)』と書き記しています。
     ここに登場する「七十人」は、別の写本では「七十二人」となっていて、十二使徒+六十人であるとも考えられています。
     この中から、バルサバとマッテヤが使徒候補に選ばれたのです。くじをひかせるとマッテヤに当たります。イエス様は十二使徒だけでなく、すでに先を見越して多くの弟子たちを選び出していた事が分かります。またバルサバは、バルナバではないかとも言われています。
     さて十二使徒の使命とは何でしょうか。それは主イエスの証人となることです。すなわち、十字架にかけられ死なれた事。三日目によみがえられた事。天に上られた事。その事実を目撃した証人になることです。
     ところでペテロは、「ユダは自分の所へ行く為に脱落して行きましたから」と言っていますが、果たしてそれは、主イエスの御心であったのでしょうか。いいえ、違うのです。
     主イエスは最後の最後まで、ユダに悔い改めを促し、ご自身の所に戻って来る事を願っておられました。ヨハネが言うとおりに、
    『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つ為である。(ヨハネの福音書3:16)』と。》

Comments are closed.