• 2020年6月14日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き2章13節~21節】
    2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。
    2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私の言葉に耳を傾けていただきたい。
    2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
    2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
    2:17 『神は言われる。終わりの日に、私はすべての人に私の霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
    2:18 その日私は、私のしもべにも、はしためにも、私の霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
    2:19 また、私は上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
    2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
    2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

    ◎メッセージ【新しいぶどう酒】
    《敬虔なユダヤ人たちが、午前九時の礼拝の為に神殿に行こうとした時です。突然ゴーッと言う響きと共に大きな音が轟いきました。その音が落ちた辺りに行って見ますと、そこにいた人々が、様々な国の言葉で話すのを聞き、驚き、不思議に思って言いました。
    「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国の言葉で話を聞くとは、いったいどうしたことか。」
     しかし中には、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者たちもいたのです。
     主イエス様に対して、人は二つのうちどちらかの態度を選ばなければなりません。すなわち「信じて受け入れる」か、もしくは「信じないで拒否する」かのどちらかです。
    「私とは無関係」とその人がいくら主張したとしても、神様の側からは、そうはいかないのです。ペテロは、異邦人であったイタリア隊百人隊長コルネリオにこう言っています。
    『「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。このイエス・キリストはすべての人の主です。』と。すべての人にとって、主イエスは、真の主であられるのです。
    「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」「新しいぶどう酒」とは、発酵して間もないぶどう酒のことです。
     この言葉が、なぜかペテロの耳に入ったのです。するとペテロは、他の十一弟子と共に、ヨハネ・マルコの家の二階のベランダに立ち、こう言ったのです。
    「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私の言葉に耳を傾けていただきたい。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られたことです。」と。
     何とその後、ペテロは「ヨエル書」から引用します。彼は無学です。ガリラヤの漁師です。パウロのようなエリートではありません。当時、聖書は誰もが持っていてよい物ではありませんでした。ユダヤ人の会堂シナゴークに、多くの巻物として保管されていたからです。
     ペテロが暗誦した言葉は、ほぼヨエル書そのままです。まさに聖霊の成せる御わざと言っても良いかと思われます。主イエス様が約束された通り、聖霊は、すべてのことを思い起こさせて下さるのです。
     使徒パウロはこのように勧めています。
    「ぶどう酒に酔ってはいけません。むしろ、御霊に満たされなさい。」
     御霊に満たされることは、まさに「新しいぶどう酒」を飲んで酔っているかのようなのです。「新しいぶどう酒」は喜びを与えて下さいます。そして御霊も、すなわち聖霊なるお方も、私たちに決して奪い去られることはない「まったき喜び」を与えて下さるのです。》

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