◎本日の聖書箇所【使徒の働き2章41節~47節】
2:41 彼の言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
2:43 すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
2:44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
2:45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
2:46 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、
2:47 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにして下さった。
◎メッセージ【教会の誕生】
《「ペテロの言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた」とあります。しかも「その日、三千人ほどが仲間に加えられた」と言うのです。この数は男性だけです。女性・子どもたちを入れたとしたら、いったいどれほどの人数になることでしょう。
そしてバプテスマを授ける為には水が必要です。ここはエルサレムですが、水がある場所は限られています。ヨハネ・マルコの家の近くの、シロアムの池ではないでしょうか。その日、大勢のユダヤ人がシロアムの池に移動して、使徒からバプテスマを授かるのです。さぞかしエルサレム市内のユダヤ人たちは驚いたに違いありません。 すでにヨハネ・マルコの家には、120名の兄弟たちと、主の母マリヤを始め女性たちがおり、エルサレム教会が出来ていましたが、この日一気に大きくなったのです。 しかし、全員がヨハネ・マルコの家に収まるはずはありません。よって、彼らは宮に集まって集会を持ったと伝えられています。
「彼らはいつも、教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」
これが真の教会です。「教えを守る」為には、「教え」を教わる必要があります。教えとは、主イエスが語られたみ言葉です。それを一番知っているのは十二使徒です。 そして交わり。これがとても重要です。ダビデは、詩篇133篇に、
『見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって共に生きることは。それは頭に注がれた貴い油のようだ。主がそこにとこしえの命の祝福を命じられたからである。』と謳っています。また使徒パウロはこう勧めています。
『喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。』と。これが教会なのです。
「すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。」
このことも、主イエスが使徒たちに約束された事の成就です。主は、十字架にかけられる10数時間前に、
『「まことに、まことに、あなたがたに言います。私を信じる者は、私が行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。』と言われました。。
また主イエスは新しい命令を弟子たちに与えられました。それは、
『「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるようになります。』と。それだからこそ、
「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、神を賛美し」ていたのです。それゆえ「エルサレムの民全体から好意を持たれていた」わけです。
また「主は毎日、救われる人々を加えて一つにして下さった。」とルカは書き記しています。
教会は本当に「一つ」であったのです。聖霊によって。バプテスマを授けられ、救われた者には、聖霊が与えられたからです。聖霊こそが、一つにして下さるのです。
使徒パウロは、エペソ人への手紙においてこう命じています。
『御霊による一致を熱心に保ちなさい。あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。』と。
公の教会はたった一つです。その証印である「しるし」も聖霊(御霊)だけなのです。》