◇◆◇日々のみ言葉
2020年7月27日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書3章1節~4節】
3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。
3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
3:3 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。
3:4 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
◎ショートメッセージ
《今日から「マタイの福音書」の学びも第3章に入ります。
まず、マタイは「その頃」と書き記していますが、これはかなり誤解を招く言葉でもあります。
マタイの福音書第2章の終わりはこうなっています。
『そこでヨハネは立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。(マタイの福音書2:21~2:23)』と。
そして、第3章の「その頃」と続くのです。
バプテスマのヨハネと主イエスとは、おそらく同じ年にこの世に誕生します。バプテスマのヨハネの方が、6ヶ月ほど先に生まれ、兄となります。
エジプトからイスラエルに戻って来たヨセフとマリヤと幼子イエスは、故郷ナザレに戻りますが、その時、イエスはまだ2歳です。そしてバプテスマのヨハネは、数えでまだ3歳となります。3歳の幼子がどうやってヨルダン川で、大人に悔い改めのバプテスマを授ける事が出来ると言うのでしょうか。
つまり、マタイの福音書の第2章と第3章との間には、少なくとも20年以上の年月が経っていることになるわけです。
いったい、何時バプテスマのヨハネが、ヨルダン川において、悔い改めのバプテスマの働きを開始したのかについては、聖書には明確には書き記されてはありません。
しかし、福音書にはこのように書かれているのです。
『さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネの所へ出て行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。(マタイの福音書3:5~3:6)』と。
私たちは何気なくさらっと、この箇所を読んでしまいますが、ここに書かれていることが真実であって事実であるとしたら、これは大変なことであり、また数日どころか、数百日、いや数年以上に時間がかかる働きが書かれていることになります。この記述から、ローマ・カトリックの告解の秘蹟が始まったと言えるかと思われます。
一人一人の罪の告白を聞き、そして悔い改めのバプテスマを一人一人に授けるとしたら、しかも「エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々」が対象であったとしたら、バプテスマのヨハネの働きは、いかに犠牲を伴った献身的な働きであったことでしょうか。
そして、そうであるならば、ヨハネは、いかに一人一人の魂を大切にしたことでしょう。まさしく彼は「愛の人」であったのです。明日も同じ箇所からです。》