◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月7日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書4章1節~2節】
4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
◎ショートメッセージ
《昨日から、マタイの福音書の学びも第4章に入りました。ここでは「主イエスと悪魔との最初の対決」について考えて見たいと思います。
ルカの福音書の同一平行箇所によりますと、
『さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。(ルカの福音書4:1~4:2)』と書かれています。
ルカは、「聖霊に満ちたイエス」と書いていて、つまりヨハネからバプテスマを受けた時に、御霊が鳩のように降って来られるまでは、主イエスは聖霊に満たされていなかったことになるのです。そして、おそらくこの時から、創造主なる神様の第三位格であられる聖霊は、御子イエス様と共に歩まれることになったと言うことが真実なのです。
御霊は、主イエスを荒野に導きます。
マルコの福音書の同一平行箇所によりますと、
『そして天から声がした。「あなたは、私の愛する子、私はあなたを喜ぶ。」そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣と共におられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。(マルコの福音書1:11~1:13)』となっています。
マルコだけは、「御霊はイエスを荒野に追いやられた」と書き記していて、つまり強制的に荒野に連れて行かれた事が事実となります。
マタイとルカは、「悪魔の試み」としていますが、マルコは「サタンの誘惑」としています。
これは日本語訳が統一されていないことにもよりますが、本来「試み」は、神様から送られるものであって、悪魔は「試み」るのではなく、「誘惑」して来るものなのです。
主の兄弟ヤコブは、このように忠告しています。
『だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブの手紙1:13~1:16抜粋)』と。
また、主の祈りでは、「私たちを試みにあわせず、悪より救いい出したまえ。」と祈りますが、これも「試み」ではなく「誘惑」の方が、本来は正しいと言えます。
さて、主は荒野において四十日四十夜、断食をし、サタンの誘惑を受けられました。この時、具体的にどのような誘惑があったのかは、聖書は明らかにはしておりません。
マルコだけは、
『イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣と共におられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。』と、書き記しており、主イエスは決して一人ではなかったことになっています。》