• 2020年9月27日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き5章12節~16節】
    5:12 さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。
    5:13 ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。
    5:14 そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。
    5:15 そしてついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。
    5:16 また、エルサレム付近の町々から大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒やされた。

    ◎メッセージ【前進する教会の落とし穴】
    《エルサレム教会は、アッという間に大きくなりました。すべてが順調かと思われた時、そんな背景の中、「アナニアとサッピラ」の事件が起こったのです。この事件は、初代教会において、大きな痛みともなりました。また、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちに、大きな恐れが生じたことをルカは書き記しています。これは神様ではなく、シモン・ペテロに対する恐れでもあったのです。
    「さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われ~」とは、病がいやされ、不具合がいやされ、そして悪霊からの解放を意味しています。十二使徒により、主イエスの御名によって、奇跡が行なわれたのです。まさしく主が、彼らに約束されたことの成就です。
    「みなは皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた」とは、一同が集まる場所として、宮の中にある「ソロモンの回廊」が、集合場所として選ばれました。
     聖霊と主イエスの恵みによって、「主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になっていった」のです。
     この新しい群れが、いかに当時の宗教指導者たちにとって、恐るべき驚異であったことは言うまでもありません。
     さてルカは、「ついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。」と書き記していますが、実はここに大きな落とし穴が潜んでいるのです。
     ここには「ペテロ」の名前だけが出て来ます。彼は間違いなく使徒たちのリーダーでした。また主もそのように選ばれたのです。それだからこそ、ペテロは、主イエスを三度も否むと言う試練を通らされたのです。
     さて、この時、人々の目はペテロに向き始めていました。それは人は目に見える存在に惹かれるからです。すでに主は、オリーブ山から昇天された後であり、主の御名による「しるし」や「奇跡」が行なわれていても、人はやはり神様に用いられている人そのものに目が向いてしまうのです。
     それゆえ、主は、しもべとしての心得を教えられたのです。
    『「しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行なったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」』と。
     すべての栄光は主のものです。主が用いられる器は、このように何時も自分が何者であるのかをしっかりと認識する必要があります。
     私たちは、罪許された者です。よってもはや罪人ではありません。確かに未だに罪を犯す可能性はありますが、私たちは聖徒です。神の国の国民なのです。それと同時に、主のしもべなのです。ところで、神様が好まれるしもべとは、どんな人格の持ち主なのでしょうか。主の兄弟ヤコブは、こう言っています。
    『「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げて下さいます。』と。
     教会は、日を追うごとに、益々主を信じる者が、男も女も大勢増えて行きました。それと同時に、徐々に落とし穴も大きくなって行きました。
     私たちは、人ではなく、主イエス様だけを見上げるべきです。私たちが礼拝するお方は、栄光を帰するお方は、主イエス様ただお一人なのです。》

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