◎本日の聖書箇所【使徒の働き7章1節~15節】
7:1 大祭司は、「そのとおりなのか」と尋ねた。
7:2 するとステパノは言った。「兄弟ならびに父である皆さん、聞いて下さい。私たちの父アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、
7:3 『あなたの土地、あなたの親族を離れて、私が示す地へ行きなさい』と言われました。
7:4 そこで、アブラハムはカルデア人の地を出て、ハランに住みました。そして父の死後、神はそこから彼を、今あなたがたが住んでいるこの地に移されましたが、
7:5 ここでは、足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。しかし神は、まだ子がいなかった彼に対して、この地を彼とその後の子孫に所有地として与えることを約束されました。
7:6 また、神は次のように言われました。『彼の子孫は他国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。』
7:7 また、神は言われました。『彼らが奴隷として仕えるその国民を、私はさばく。それから彼らは出て来て、この場所で私に仕えるようになる。』
7:8 そして、神はアブラハムに割礼の契約を与えられました。こうして、アブラハムはイサクを生み、八日目にその子に割礼を施しました。それからイサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長たちを生みました。
7:9 族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼と共におられ、
7:10 あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王ファラオの前で恵みと知恵を与えられたので、ファラオは彼をエジプトと王の全家を治める高官に任じました。
7:11 すると、エジプトとカナンの全地に飢饉が起こり、大きな苦難が襲って来たので、私たちの父祖たちは食べ物を手に入れることができなくなりました。
7:12 しかし、ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まず私たちの父祖たちを遣わしました。
7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分のことを打ち明け、ヨセフの家族のことがファラオに明らかになりました。
7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、自分の父ヤコブと七十五人の親族全員を呼び寄せました。
7:15 こうして、ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの父祖たちも死にました。
◎メッセージ【ステパノの弁明】
《「そのとおりなのか」大祭司カヤパはステパノに詰問します。さて、いよいよステパノによる告別説教が始まります。それにしても、使徒の働き7章全般に、詳細にわたってステパノのメッセージが記録されていることには驚きです。もちろんステパノはこのすぐ後に、殉教します。よって、彼が語ったメッセージの全貌を本人から聞き出すことは不可能です。そうしますと、この最高法院の議会に同席した者が存在したことになります。ルカは、ローマにおいて使徒パウロの監修のもとに「福音書」と続編である「使徒の働き」を執筆しましたから、サウロがその場に同席したことは、間違いないことです。またサウロはステパノの死刑に同意していたことから、直にステパノのメッセージを、その耳で聞いたことは確実です。
さて、ステパノは、自分を捕らえた最高法院のメンバーたちに、敬意を払っています。「兄弟ならびに父である皆さん」と。そして次に、ユダヤ人の父アブラハムについて言及します。 そしてその後、アブラハムと契約を結びます。そのしるしこそが「割礼」なのです。
『「あなたは、あなたの子孫と共に、代々にわたり、私の契約を守らなければならない。次のことがあなたがたが守るべき私の契約である。あなたがたの中のすべての男子は、あなたがたの包皮の肉を切り捨て、割礼を受けなさい。それが、契約のしるしである。あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。』と。
主イエスも、イサクと同じように、エルサレムの神殿において八日目に割礼をお受けになられました。
続いてステパノは、ヤコブの十一番目の息子ヨセフのことについて言及します。十人の兄たちは、ヨセフをねたんでエジプトに売り飛ばします。このヨセフも、救い主、主イエスのひな形、あるいは予表であると言われています。この時、主なる神様は共におられ、ヨセフのすること成すことのすべてを成功に導かれるのです。
御使いは、マリアの婚約者ヨセフにこのように告げています。
『「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちと共におられる」という意味である。』
ステパノは、イスラエルの歴史を辿ると共に、主イエスこそが、旧約聖書において、父なる神様が約束されたメシアであることを、順を追って、最高法院に集っている指導者たちに解き明かしています。ステパノがここに召し出された理由は、後に使徒となるサウロの救いの為、またその師ガマリエルの救いの為、そしてその場に集まった多くの宗教指導者たちの為なのです。この中から、やがて信仰に導かれた者たちも存在することを信じています。
最初の殉教者ステパノ。短い期間における主イエスの僕としての働きであったかも知れませんが、その最後の時に、主イエスは立ち上がって絶大の拍手を送ることになります。》