◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月22日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章17節~19節】
7:17 「同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
7:18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は言われます。
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。」と。
今日の箇所の現代訳は、
『「良い木はいつも良い実を結びますし、悪い木はいつも悪い実しか結びません。良い木が悪い実を結ぶことはできませんし、悪い木も良い実を結ぶことはできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火の中に投げ込まれてしまいます。」』となっています。
良い木はいつも良い実を結ぶのです。そして悪い木はいつも悪い実を結ぶのです。その例外はあり得ないのです。しかも「いつも」です。「常に」と言うことです。
ここにも大切な真理があります。
それは、主イエス様の十字架の御わざによって、罪赦され、悔い改め、主イエス様の復活の命に預かった者に対して、このみ言葉が当てはまるのではないと言うことです。
もし、当てはまるとしたら、主の弟子の中で、良い実を結ばない木(弟子)は、みな切り倒されて、火(火の池あるいは第二の死)に投げ込まれることになってしまいます。
もしそうだとするならば、主イエス様の十字架による救いは未完成であって、あとは弟子たちの、クリスチャン自身の行ないによって完成することになってしまいます。
何度も言います。
悪い実を結ぶ悪い木とは、主イエス様に対して反逆する者たちのことです。彼らがどんなに良い木を装ったとしても、中身は邪悪な霊の支配下に置かれています。
しかし良い木は違います。主なる神様の第三位格である聖霊がその人の霊の中に住んで下さっています。
だからこそ、良い実を結ぶことが出来るのです。それは、その人自身の力ではなく、内住しておられる御霊の力なのです。
使徒パウロはこう言っています。
『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガリラヤ人への手紙5:22 ~5:23抜粋)』と。
「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。」
主を信じ従う者たちには、必ず「御霊の実」が見えるはずです。私たちは、実によって見分けなければならないのです。》