◎本日の聖書箇所【使徒の働き7章37節~45節】
7:37 このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』
7:38 また、モーセは、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちと共に、荒野の集会にいて、私たちに与えるための生きたみ言葉を授かりました。
7:39 ところが私たちの先祖たちは、彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、エジプトをなつかしく思って、
7:40 アロンに言いました。『我々に先立って行く神々を、我々のために造ってほしい。我々をエジプトの地から導き出した、あのモーセがどうなったのか、分からないから。』
7:41 彼らが子牛を造ったのはそのころで、彼らはこの偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造った物を楽しんでいました。
7:42 そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の万象に仕えるに任せられました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、いけにえとささげ物を、私の所に携えて来たことがあったか。
7:43 あなたがたは、モレクの幕屋と神ライパンの星を担いでいた。それらは、あなたがたが拝むために造った像ではないか。私はあなたがたを、バビロンのかなたへ捕らえ移す。』
7:44 私たちの先祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりのものでした。
7:45 私たちの先祖たちは、この幕屋を受け継いで、神が自分たちの前から追い払って下さった異邦の民の所有地に、ヨシュアと共にそれを運び入れ、ダビデの時代に至りました。
◎メッセージ【ステパノの弁明Ⅲ(一人の預言者)】
《ステパノの弁明から、三回目のメッセージとなります。ユダヤ人が待ち続けている、神が約束された「預言者」こそが、主イエスであることを証しようしているのです。
申命記には『私は彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口に私の言葉を授ける。彼は私が命じることすべてを彼らに告げる。』と書かれており、ユダヤの最高法院がどれほど、この預言者を持ち望んでいたことか、バプテスマのヨハネが宣教を始めた時、議会は調査団をエルサレムから送ったのです。
「あなたはどなたですか」
「私はキリストではありません」
「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」
「違います」
「では、あの預言者ですか。」
「違います」
そしてステパノは、アロンが造った金の子牛について言及します。また、ダビデの息子ソロモン王が背教したことを、アモス書から引用して説明しています。
ステパノはイスラエルの歴史を辿ることによって、旧約聖書が預言している「預言者」が、主イエス・キリストであることを、力強く解き明かしているのです。
ステパノは『モーセは、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちと共に、荒野の集会にいて、私たちに与えるための生きたみ言葉を授かりました。』ことについて語っていますが、この「生きたみ言葉」は、十戒を指し示し、律法、すなわちモーセ五書のことを指しています。しかしステパノがここで本当に言いたいことは、生きたみ言葉とは、主イエスであると言うことなのです。
使徒ヨハネはこう証しています。『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この方は、初めに神と共におられた。』と。
この言葉こそが人となられた主イエスであることを証しているのです。
私たちクリスチャンは、日々、この生きたみ言葉に触れる必要があります。この暗黒の時代、すなわち「新型コロナウィルスのパンデミック」の時代にこそ、生きたみ言葉によって養われる必要があるのです。
なぜなら私たちは霊的存在だからです。私たちの霊が主イエスの命に満ち溢れているならば、私たちの魂もそして体も、霊に従うはずですから、主の流された尊い血潮の守りと相まって、圧倒的な免疫力を発揮すると信じています。もちろんマスク着用、うがいや度々の手洗いと消毒、そして三密を避けることは当然のことです。
しかし、私たちは「光の子ども」なのです。以前は確かに暗闇の中をさまよう者でしたが、主イエスの十字架の御わざによって「光の子ども」とされたのです。それゆえ、私たちは「暗闇」ではなく「光」を見るのです。うつむくのではなく、上を見上げるのです。
ステパノは弁明を終えた時、上を見上げます。すると天が開け、そこには主イエスが、スタンディングオーベーションをしておられる姿が見えます。
ステパノには、最初の殉教者となる使命が与えられたように、私たち一人一人に使命が与えられています。その使命を主イエスと共に、聖霊の導きによって果たして行くのです。》