◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月25日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章21節~23節】
7:21「私に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられる私の父のみ心を行なう者がはいるのです。
7:22 その日には、大ぜいの者が私に言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、私は彼らにこう宣告します。『私はあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。私から離れて行け。』」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。
もしこの言葉が、救われたクリスチャンに向けて語られたとしたら、私たちにはもはや何の希望もなくなってしまいます。絶望があるだけです。
「その日には、大ぜいの者が私に言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』」
そして、大ぜいの者が、
「私はあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。私から離れて行け。」と言われ、火の池に投げ込まれることになります。そして天国にはいれる人たちは、ほんの一握りの人だけとなるのです。
本当にそうでしょうか。もしそうだとしたら、主イエス様の十字架は失敗になります。流された尊い血潮だけでは、足りないことになるからです。身代わりの死だけでは足りないことになるのです。
違います。
父なる神様の御心とは何ですか。使徒ヨハネはこう言っています。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛した。その行ないが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。(ヨハネの福音書3:16~3:20)』と。
父なる神様の命令は、み心は、「永遠のいのち」なのです。
『それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』からです。
人は、主イエスを信じて救われるのです。悔い改め、「イエス様こそ私の主である」と、心の奥底から全人格を持って信じ告白するならば、救われるのです。
そして救われた人の霊は新しく生まれ変わります。聖霊が宿って下さるからです。主イエス様の霊である聖霊は、共に住んで下さり、共に歩んで下さいます。
大切なことは、その人が本当に救われているかどうかなのです。主イエス様に出会ったかどうかなのです。》