◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月26日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章21節~23節】
7:21「私に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられる私の父のみ心を行なう者がはいるのです。
7:22 その日には、大ぜいの者が私に言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
7:23 しかし、その時、私は彼らにこう宣告します。『私はあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。私から離れて行け。』」
◎ショートメッセージ
《一昨日および昨日と同じ箇所からです。明日は先に行きましょう。
昨日の最後に、
『大切なことは、その人が本当に救われているかどうかなのです。』と書かせていただきました。
何度も言いますが、主イエスの言われた言葉が、すべてのクリスチャンに向けて語られたのなら、信仰生活はまさしく恐れと不安でいっぱいとなり、この世の旅路をびくびくしながら生きて行くことになると思われます。
『自分は本当に天国にはいれるのだろうか。もしかしたら、主イエスから「私はあなたを全然知らない。不法をなす者。私から離れて行け。」と言われるのではないだろうか。自分は地獄に行くのではないか。』と思い煩いながら。
もし、それがクリスチャン人生であるとしたら、そのように生きている人を見て、誰が教会に行きたいと思うでしょうか。誰が、主イエスを信じて信仰を持ちたいと願うでしょうか。
主イエスは弟子たちに、はっきりと言われたのです。
『「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネの福音書15:16前節)』と。
そしてこうも言われたのです。
『「私がこれらのことをあなたがたに話したのは、私の喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネの福音書15:11)』と。
本当に、その人が救われているのなら、喜びに満ちあふれているはずです。その人の内に、生きる力が湧き上がっているはずです。なぜなら、罪赦され、神様の子どもとされたのです。創造主なる神様を天のお父様と呼ぶことが許され、主イエスの御名によって祈り求めることが出来る恵みをいただいたのです。
真理は、聖霊なのです。
その人が本当に救われているかどうかのかぎは、聖霊なのです。その人の中に、主イエスの霊でもある聖霊が住んでおられるかどうかなのです。神様の第三位格、聖霊と共に歩んでいるかどうかなのです。》