◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月27日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章24節~27節】
7:24「だから、私のこれらの言葉を聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26 また、私のこれらの言葉を聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様が言われる「これらの言葉」とは、間違いなく「山上の垂訓」のことです。
マタイは、5章から始めて7章のほぼ最後まで、このメッセージを書き記しました。このメッセージが書き記されているのは、マタイの福音書だけであって、ルカは似た内容の「平地での説教」を書き記していますが、その内容と分量は、マタイの三分の一以下にとどまっています。
マルコ、そしてヨハネは、「山上の垂訓」についてはいっさい触れてはいません。この事から、いかにかつての取税人であったレビの使徒への召命は、神様の深い摂理の中において行なわれたことであり、まさしく主が選ばれたことへの確固たる証しと言えるのではないでしょうか。
そしてその事は、レビに留まらず、後の時代に救われた私たち一人一人にも当てはまるのです。私たちには「使命」があるのです。
さて、「山上の垂訓」の最後に、主は一つのたとえを話されました。それが今日の聖書箇所となります。
主の教えを聞き、それを実行しようとする人は、岩の上に自分の家を建てた賢い人だと言われるのです。
そして、主の教えを聞き、それを実行しようとしない人は、砂の上に自分の家を建てた愚かな人だと言われるのです。
一見しますと、二つの家はしっかりと建っているように見えます。そこへ、どちらの家にも嵐が訪れます。雨が降って洪水が押し寄せるのです。風が強く吹き付けます。
しかし、嵐が永遠に続くことはありません。どんなに真っ暗な夜であっても、やがて夜明けが訪れ朝がやって来るように、嵐も過ぎ去り、天候は回復し、虹が出て太陽は顔を出すのです。
その時、二つの家の姿が浮き彫りにされます。
岩の上に建てられた家は、しっかりと立ち続けています。しかし砂の上に建てられた家は、跡形もなく流されてしまっています。何が問題だったのでしょうか。
二つの家は、材質も大きさも、おそらくほぼ同じであったはずです。しかし土台が違っていたのです。賢い人は「岩」が土台で、愚かな人は「砂」が土台であったのです。
明日も同じ箇所からの続きです。》