◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月28日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章2 4節~27節】
7:24「だから、私のこれらの言葉を聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26 また、私のこれらの言葉を聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
現代訳を掲載します。
『7:24「私が今まで話した言葉を聞いて、それを行なう人は、ちょうど岩の上に家を建てた賢い人のようなものです。
7:25 どんなに雨が降り、水かさが増し、洪水になっても、また風が強く吹き付けても、倒れることはありません。それは、岩の上に建てられていたからです。
7:26 ところが、私が今まで話した言葉を聞いても、それを行なわない人は、ちょうど砂の上に家を建てた愚かな人のようなものです。
7:27 雨が降り、水かさが増し、洪水になり、風が強く吹き付けると、すぐに倒れてしまいます。しかも、それはひどい倒れ方でした。」』
この二人の共通点は、どちらも主イエス様の教えを聞いていると言うことです。そして違う点が何であるかと言いますと、それを行なうか、行なわないか、と言う点です。
正直言いまして、「山上の垂訓」に書かれた教えを実行するのは、簡単なことではなく非常に難しいことです。
例をあげますと、
『「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイの福音書5:29~5:30)』と言われた教えです。
主イエス様は、すべての男性の右目がなくなり、右手がなくなることを望んでおられるのでしょうか。そんなことは決してあり得ません。これらはあくまでたとえであって、真理に導く為の道すじなのです。
答えは、「土台」にあるのです。「家」とは、その人の「人生」を表わしています。その人の人生を、どの土台に築いて行くのかが問われています。
「岩」の土台とは、主イエス・キリストのことです。主を信じ、従い続けようとする信仰の上に、人生を築いて行くことなのです。
また「砂」とは、この世のことであり、この世の価値観を表わしています。しかし、世の有様は流れ去って行くのです。この世に生きている人々と同じになってはならないのです。もちろん、私たちクリスチャンも、この世に生きています。しかし、私たちの本当の住まいは、天にある御国です。
あなたの「土台」は「岩」でしょうか。それとも「砂」でしょうか。》