• 日々のみ言葉 2020年11月29日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年11月29日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書7章28節~29節】
    7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
    7:29というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『7:28 イエスがこれらの言葉を語り終わると、群衆はその教えに驚いた。
     7:29それは、イエスが律法学者たちのように、ただいろいろな教えを説明するのではなく、権威あるお方として教えられたからである。』

     主イエスは、「山上の垂訓」の教えを語り終えました。おそらく、教えを語られている間は、弟子たちもまた群衆も、それこそ息もつかずに真剣に聞いていたと思われます。 誰一人その場から離れる者もなく、また一心に主に目を向けていたに違いありません。

    「主が語り終えると、群衆はその教えに驚いた」とあります。なぜ驚いたのでしょうか。それは、それまでに聞いたことがない教えであり内容であったからです。

     それまでユダヤ人が聞いていたメッセージは、おもに律法学者の教えでありました。彼らは律法については多くの知識を持っていましたので、一般的には権威者として認められていたのです。
     安息日に会堂にて行なわれる礼拝では、律法学者が、聖書の研究や解釈を語っていました。おもにいろいろな説を説明したと伝えられています。

     しかし主イエスの教えは違っていました。なぜなら、彼らがまったく耳にしたことのない新しい教えであったからです。

     特に、主イエスの語る言葉に、権威がありました。なぜなら創造主なる神様ですから。私たちは、主イエスがまことの人になられたことを知っています。私たちと同じように肉体を持たれたのです。しかし、本当の実態である神の御子イエスは霊であられます。マリアから授かった肉体に住んでおられるのです。

     三位一体である創造主なる神様は、言葉でこの世界を創造されました。従って創造主である主イエスの発せられる言葉には、神の権威がありました。それを感じ取ったのは、その場に居合わせた弟子たちの霊であり、群衆の霊なのです。なぜなら私たちは霊的存在として創造されたからです。

     聖書も霊的書物です。ただ頭だけで読んだとしても、全く分からないのは当然なのです。まことの著者である聖霊の助けを受けて、霊で読まなければならないからです。

    「山上の垂訓」こそ、主イエスが初めて語られた教えであり、メッセージだと思われます。》

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