◎本日の聖書箇所【使徒の働き7章46節~60節】
7:46 ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの家のために、幕屋のとどまるところを求めました。
7:47 そして、ソロモンが神のために家を建てました。
7:48 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
7:49 『天は私の王座、地は私の足台。あなたがたは、私のためにどのような家を建てようとするのか。──主の言葉──私の安息の場は、いったいどこにあるのか。
7:50 これらすべては、私の手が造ったものではないか。』
7:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったようにあなたがたもそうしているのです。
7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」
7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いでステパノに向かって歯ぎしりしていた。
7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。
◎メッセージ【ステパノの殉教】
《数回にわたり、ステパノが最高議会において語ったメッセージについて学んで来ました。そのメッセージのクライマックスと、殉教の場面について考えて見たいと思います。
ステパノは、ダビデ王が建設を願った神殿を、息子ソロモンが成し遂げたことについて語り、イザヤ書を引用しています。
『主はこう言われる。「天は私の王座、地は私の足台。あなたがたが私のために建てる家は、いったいどこにあるのか。私の安息の場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、私の手が造った。』と。
この言葉は、エルサレムにある神殿を否定する言葉なのです。主イエスは、三十年間は普通の男性として過ごされましたが、公生涯においては、毎年のように弟子たちを連れてエルサレムに巡礼に上られたのです。その時までは、神様は哀れみによって、神殿に栄光を現わされました。しかし、その栄光が神殿から取り去られる時がやって来ます。それは、主イエスが十字架上で息絶えた時です。その時、地震が起こって、神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けました。その瞬間から万人祭司となり、どこにいたとしても、神様を礼拝出来るようになったのです。
さて、ステパノは、ユダヤの宗教的かつ政治的指導者たちに、罪の悔い改めをせまります。
『うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。」』
ここで、明確に主イエスを十字架につけた罪を示しています。
その時、超自然的に天が開けます。聖霊に満たされたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられる主イエスを見つめ告白します。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」
この言葉がゴーサインとなりました。人々は耳をふさぎ叫びながらいっせいにステパノに殺到し、平手で打ち、つばを吐きかけます。かつて主イエスがされたように。
しかし、この時ステパノは一人ではありませんでした。主イエスが共におられたからです。ヨハネの福音書には、弟子たちに対する素晴らしい約束が書き記されています。「私は、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」と。
エルサレム市内から引きずられ、石打場に投げ込まれます。そして議員たちは、証人として、サウロに上着を預け、いっせいに石をステパノに投げつけます。
「主イエスよ、私の霊をお受け下さい。主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい。」
この言葉は、主イエスが十字架上で言われた最後の言葉に酷似しています。この事から、ステパノは、主イエスが十字架にかけられた時、ゴルゴタの丘にいたことが考えられます。主の十字架の御もとで、彼は一部始終を目撃していたのではないでしょうか。
ステパノは最初の殉教者となりました。執事としての使命を全うする期間は短く、また決して大きな働きではなかったかも知れませんが、ユダヤ人の指導者たちに強力なインパクトを与えたことは間違いないことです。特に、サウロに与えた影響は非常に大きなものと言えるでしょう。ステパノに与えられているように、私たち人一人にも、使命が与えられています。小さいことに忠実な者は、大きいことにも忠実なのです。常に主イエス様が喜ぶことを、たとえどんな小さなことであっても、やり遂げて行きたいものです。》