◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月30日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章28節~29節】
7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
7:29というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
マタイの福音書5章から7章にかけて記載された「山上の垂訓」の学びは、今日で終えることになります。明日からは8章にはいります。
さて「山上の垂訓」ですが、その始めに、マタイはこのように書き記しています。
『この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。(マタイの福音書5:1~5:2)』と。
多くの群衆が、主イエスに付き従っていました。この場所は、カペナウム近くの丘であったと伝えられています。主は丘の上に立たれ、すり鉢状になっている自然の劇場で語られたと思われます。一番下にはガリラヤ湖の湖面がキラキラと輝いていたに違いありません。
主イエスは弟子たちをみもとに呼び寄せます。この教えはおもに弟子たちのため、ご自身に聞き従う者たちのためであると言うことです。
マタイは、主イエスが大きな口を開けて、しかも大声で語られたことを強調しています。その声に、群衆は威厳を感じ取ったのです。
主イエスの公生涯の最初は、「山上の垂訓」を何度も繰り返し語られたことであると思われます。
この教えにおいて最も大切な真理はただ一つです。それは、「神の国とその義とをまず求めなさい。」と言うことなのです。
「神の国」とは、主イエスが王の王として治められている国、あるいは場所のことです。すなわち主イエスご自身を求めることなのです。
そして「その義」とは、救いのことです。永遠のいのちのことです。主が共におられる場所、共に歩んで下さる場所、それが「神の国とその義」なのです。そしてそれは、あなた自身の体のことです。
使徒パウロは言います。
『神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「私は彼らの間に住み、また歩む。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。」(第Ⅱコリント6:16)』と。
また、ヨハネの黙示録において、こう言われています。
『見よ。私は、戸の外に立ってたたく。誰でも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼の所にはいって、彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。(ヨハネの黙示録3:20)』と。
主イエスが共にいて下さる場所が「神の国」なのです。明日から第8章です。》