• 2020年12月13日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書2章1節~7節】
    2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
    2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
    2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
    2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
    2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
    2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
    2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

    ◎メッセージ【住民登録】
    《メシヤは、預言者ミカによって、主イエスが生まれる700年も前にすでに、どこで生まれることになるのかが預言されておりました。
    『ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたから私の為にイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。』
     また、預言者イザヤによって、ダビデの子孫からメシヤが誕生することになることも、同じく700年前に預言されていたのです。
    『エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。』と。
     主イエスは、明らかにダビデの血を受け継いでおられます。マタイは、育ての父ヨセフの系図を、福音書の最初に書き記しました。なぜならユダヤ人は、系図を非常に大切にするからです。それによれば、「エッサイ」から辿って行き、『ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。』と締めくくります。しかしマタイは、ヨセフがイエスを生んだとは書いてはいないのです。マリアの夫とあえて書き、その妻であるマリヤがイエスを生んだと言うわけです。
     ルカは、3章に同じく系図を載せています。しかし、この系図はヨセフのではなく、主の母マリヤの系図なのです。しかもさかのぼって書かれています。二つの系図を辿って行くと、ダビデとエッサイの箇所において一致します。ヨセフの系図は、ウリヤの妻(バテ・シェバ)の息子ソロモンから別れます。そしてマリヤは、ソロモンではなくその兄ナタンから別れ出ているのです。ウリヤの妻は、ダビデに四人の男の子を産みました。生まれてすぐに死んだ長男シャムア、次男ショバブです。そして三男ナタン、末っ子が王となったソロモンです。つまりヨセフもマリアも、ダビデとウリヤの妻の血を引いていることになるのです。
     主イエスは、ダビデの子孫として、すなわちその血を受け継ぐ者として生まれなければなりませんでした。よって母マリアの血を引き継いでいるのです。しかしヨセフの血は受け継いではいません。しかし、ヨセフがダビデの正規の子孫であるからこそ、住民登録が行なわれた時に、ダビデの子孫の本拠地であるベツレヘムに行かなければならなかったのです。  次に「住民登録」について考えて見ましょう。この住民登録は皇帝アウグストによって行われたものです。ローマの内乱を制定し、最初の皇帝となったのが、オクタヴィアヌスです。 紀元前27年に皇帝に即位した時、ローマ元老院が彼に「アウグストゥス(尊厳なる者)」と言う尊称を贈りました。彼は紀元前63年に生まれ、紀元14年に76歳で死ぬまで、実質的な君主としてローマを支配しました。
     アウグストゥスはこの勅令によって名前、職業、財産、親族を登録させましたが、その目的は徴税のためでした。
     当時のユダヤでは、名目上はヘロデ大王が王であったのですが、ローマ帝国に従属しており、国民は兵役は免除されていたものの、税金を納めなければならなかったのです。
     ルカは「キリニウス(クレニオ)がシリヤの総督であったときの最初の住民登録」と書き記しています。つまり住民登録は、主イエスが生まれた頃に、二回行なわれたことになります。一番最初の住民登録の勅令は、アウグストゥスによって紀元前8年に出されました。しかし何らかの理由で紀元前6年にその実施がずれこんだのです。よって主イエスがお生まれになる住民登録は、紛れもなく紀元前6年のものとなります。そして次の人口調査は、紀元6年に行なわれました。
     さて、ユダヤ人はそれぞれの本拠地に行き、住民登録をしなければなりませんでした。ナザレからベツレヘムまでは、直線距離して120キロも離れています。しかも身重になった婚約者マリアを連れて、ダビデの町ベツレヘムに行かなければならなかったことは、皇帝アウグストゥスの勅令が、いかに厳しいものであったことがうかがわれます。しかし、この事においても神様の摂理が働いていたことは間違いありません。
     よってこの預言の成就から、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。それは、すべての事が、神様の御手の中によって行なわれていると言うことです。神様は、実はすべてのことについて、働かれています。ご計画の成就の為には、ノンクリスチャンさえ用いられるのです。
     また、今は新約の時代です。私たちは、使徒パウロが言うように、主イエス様の支配の中に、入れられているのです。》

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