◇◆◇日々のみ言葉
2020年12月23日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書8章28節~29節】
8:28 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
8:29 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。
マルコの福音書における並行記事を今一度掲載します。
『こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。
この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押えるだけの力がなかったのである。それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエス様。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないで下さい。」(マルコの福音書5:1~5:7)』となっています。
マタイの福音書では、「ガダラ人」となっており、ルカでは「ゲラサ人」となっています。マルコも「ゲラサ人」を採用しています。
「ガダラ人」とは、ガダラ地方に住む人々を指す言葉です。そしてそこには異邦人の町が10(デカポリス)ほどありました。その中の一つの町が「ゲラサ」であったのです。
よって統合しますと、ガダラ地方にあるデカポリス(10の町と言う意味)の一つの町ゲラサに、以前は住んでいた者と言う意味になります。
彼が、あるいは彼らが、なぜこの墓場に住むようになったのかは分かりません。分かっている事は、彼らには家族がありました。おそらくその家族は、夜昼となく叫ぶ声に、居ても立っても居られないほどに肩身の狭い思いをしていたに違いありません。
その家族の祈りが聞き届けられたのでしょうか。主イエスがやって来られたのです。すると、悪霊に憑かれた男たちは、何と遠くから主イエスを見つけて、主の御もとに近寄って来ました。
「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
マルコは、
「いと高き神の子、イエス様。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないで下さい。」と叫んだとあります。こう言わせているのは、彼らの中に住んでいる悪霊どもです。何と「レギオン」、六千匹もいたのです。
明日はクリスマス・イブです。クリスマスの聖書箇所から学びます。12月26日(土)に、この続きを学ぶことにしましょう。》