◇◆◇日々のみ言葉
2021年1月5日(火)
◎聖書箇所【ヨハネの福音書20章19節~22節】
20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わしたように、私もあなたがたを遣わします。」
20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、2021年の年頭聖句の箇所からとなります。明日は、またマタイの福音書の学びに戻ります。明日からは9章に入ります。
さて、この時、この場にいた弟子たちおよび女性たちは、実は二つのグループに分けられていたのです。
一つのグループは、マグダラのマリヤから、主イエスご自身が預言された通り、よみがえられ、お会いしたと言う報告を聞いていたのですが、実際には自分の目で直接その姿を見てはいないグループです。おそらく信じられないに違いありません。
そしてもう一つのグループとは、同じく主の復活を聞いた後に、他の場所で、本当に生きておられる主に直接お目にかかったと言うグループです。
前者の立場には、ペテロとヨハネを除く9人の使徒たちなどが含まれます。そして後者は、マグダラのマリヤと女たち、ペテロとヨハネ、エマオへの道で主にお会いしたクロパとその妻マリヤが含まれます。
よってこの時、主にお会いするのが初めての者と、二回目の者とに必然的に分かれることになるのです。
何が言いたいのかと言いますと、人はなかなか信じることが出来ないと言うことです。実際にお会いした者たちは、興奮して他の者たちに伝えたはずです。マグダラのマリヤがそうでした。しかし、その時には弟子たちには、たわごとだと思われたのです。
その弟子たちの中で、ペテロは墓からの帰り道に主にお会いしています。ヨハネはどうであったのかは分かりません。その事については、触れてはいないからです。しかし私はヨハネにも主イエスは現われたと信じます。
2021年の年頭聖句において、一番大切なメッセージは、真実と真理を知っている私たちは証しをしなければならないと言うことなのです。信じようとしない人々に対して。 実際問題として、彼らも主ご自身にお会いしなければ信じることは難しいのです。
しかし、私たちは主イエスを知っています。たとえ見えなくても触れることが出来なくても、このお方が生きておられる真の神様、救い主であることを知っているからです。
相手が信じるか信じないかは、私たちの責任ではありません。人が救われることは、まさしく最大の奇跡なのですから。
私たちの使命は、救われてほしい人々に、主に現われて下さるように、取りなし祈ることなのです。
そして「平安があなたがたにあるように」と言われたように「平安」を持っていることを証しするのです。そしてそれこそが、「父が私を遣わしたように、私もあなたがたを遣わします」ことに繋がって行きます。
さらに「聖霊を受けなさい」と言われたように、自分の力ではなく、聖霊と共にそのことを実行して行くのです。明日からは、マタイに戻ります。》