◇◆◇日々のみ言葉
2021年1月13日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書9章9節】
9:9 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「私について来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
◎ショートメッセージ
《実はこの場面の記事は、三つの共観福音書に書き記されています。今日は、二つの福音書の並行記事を見てみたいと思います。
マルコでは、
『イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。
イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「私について来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。(マルコの福音書2:13~2:14)』と書かれています。
そしてルカでは、
『この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。(ルカの福音書5:27~5:28)』と書かれています。
ここから二つの事実が分かって来ます。
一つは、彼が「アルパヨの子」であると言うことです。後に十二使徒に選ばれる「アルパヨの子ヤコブ」は、レビの弟であり、取税人であることが察しられます。
そしてもう一つは、レビは「何もかも捨て」て、主イエスに従ったことが分かります。
また、マタイの福音書では、レビではなく「マタイ」となっており、マタイの福音書が執筆された頃には、マタイと呼ばれていたことが分かります。その意味は「神の賜物」です。この名前がどうやってつけられたのかは分かりませんが、レビが十二使徒に選ばれた時に、自分から名前を変えたことが考えられます。
サウロがパウロになったように。
さらに、三つの共観福音書に共通する記載があります。それは「立ち上がって」と言うことです。これは座っていたから、立ち上がったと言う意味の他に、彼は取税人の立場から、真に主イエスの弟子になることを決心したと言うことです。
いわゆる「決意表明」なのです。もちろん二度とこの職と地位には戻ることは出来ません。弟アルパヨの子ヤコブも同じです。おそらくヤコブは、兄レビの次に位置する地位の高い取税人であったに違いありません。それらをすべて捨てて主に従ったのです。
まさに「山上の垂訓」の教えにあるように。
『「誰も、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイの福音書6:24)』と。》