◇◆◇日々のみ言葉
2021年1月16日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書9章10節~13節】
9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちと一緒に食卓に着いていた。
9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか。」
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
9:13 『私はあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
ルカの福音書の並行記事によれば、
『この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。
「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもと一緒に飲み食いするのですか。」
そこで、イエスは答えて言われた。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカの福音書5:27~5:32)』となっています。若干マタイとマルコの福音書の記載とは異なっています。
まず、マタイは主イエスのために「大ぶるまい」をしたと言うのです。これは最高級のもてなしを意味しています。
また、「取税人たちや、ほかに大ぜいの人たち」と書かれています。「罪人」とは書いていないのです。しかしパリサイ人や律法学者たちは、「取税人や罪人ども」と言っています。ここには、悔い改めて救われた者に対する配慮さえ感じられるのです。ルカはパウロの監修の下に福音書と使徒の働きを執筆したと言われていますから、ここにもパウロの思いが込められているかも知れません。
なぜなら、パウロ自身が「罪人の頭」であると告白しているからです。
さて、主イエスは言われます。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『私はあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
ここで、主イエスが引用されたのは、ホセア書です。原文は、
『私は誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。(ホセア書6:6)』となっています。主は少し言葉を変えておられます。
明日も同じ箇所からです。》