• 日々のみ言葉 2021年1月17日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年1月17日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書9章10節~13節】
    9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちと一緒に食卓に着いていた。
    9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか。」
    9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
    9:13 『私はあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、マタイ(レビ)の家における食卓の場面からの学びとなります。明日は先に行くことにしましょう。
     前回にも書き記しましたように、この記事は三つの共観福音書に記載されています。と言うことは、非常に大切な真理を私たちに教えています。

     当時、もっとも卑しい者、あるいは罪人とされた者は、「取税人」と「娼婦」でした。彼らは人間扱いされず、犬と同じように思われていたのです。また「羊飼い」は、もっとも卑しい職業とされ、泥棒扱いされていました。それだからこそ、救い主降誕の良き知らせは、御使いによって彼らにもたらされたのです。

     そして当時、もっとも正しい人と思われていたのが「律法学者」でした。しかも、その中の各宗派において、パリサイ派に属する律法学者たちは、「パリサイ人」と呼ばれ、ユダヤ人たちから、多大な尊敬を受けていたのです。

     パリサイ人や律法学者たちは、選民ユダヤ人の中において、自分たちこそが、もっとも正しく聖なる者であり、モーゼ五書における律法を完全に守り行なう者である、と自負していたのです。

     その彼らに主イエスは言われます。
    「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」
     そして、
    「私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と。

     この言葉は、主イエスご自身こそは「いやし主」であること、そして「救い主」であることを暗示しているのです。

     病人は、自分が病気であることを自覚しなければ、医者の所には行きません。もっとも体は健康であっても心が病んでいる人も多くいます。そのような人は、自分が病んでいることといやされる必要があることを認めなければならないのです。

     また、罪が分からなければ、主イエスの十字架は分かりません。すべての人は、自分が罪人であることを認めなければなりません。当然、パリサイ人や律法学者たちは、そんなことを夢にも思っていませんから、主イエスを攻撃し、十字架につける片棒を担ぐことになるのです。
     しかし、取税人や娼婦たちは、自分が罪人であることを知っています。実際に罪を犯しており、また心の中では、そんな自分から救い出して欲しい、助けて欲しいと思っていたからこそ、主イエスは来られたのです。

     マタイの以前の名前はレビでした。おそらく祭司の家系であったことでしょう。彼はその名を捨て、神の賜物と言う「マタイ」を名乗ります。そして十二使徒の一人として、福音書を執筆するのです。》

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