◇◆◇日々のみ言葉
2021年2月26日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書10章24節~25節】
10:24 「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
10:25 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。」
◎ショートメッセージ
《主イエスの弟子たちに対する心構えとも言べき注意事項が続きます。
現代訳ではこうなっています。
『「弟子は、その師以上ではなく、しもべはその主人以上ではありません。弟子がその師のようになれたら、それで十分ですし、しもべがその主人のようになれたら、それで十分です。もしユダヤ人が私のことを悪霊どもの頭と呼んで、悪口を言うのなら、まして弟子たちのことは、何と言うのでしょう。それくらいの覚悟はしていなければなりません。」』(現代訳第10版より引用)
新改訳では、一般論的な意味に取れてしまう可能性はあります。しかし、そうではなく、主イエスは明確にパリサイ人や律法学者たちは、ご自身のことを「悪霊どもの頭」と呼んでいることを言われているのです。となれば、弟子たちは、まさしく「悪霊の弟子」と呼ばれることになると言うわけです。
これは、聖霊に対する最大の冒涜であって、まさに「赦されない罪」そのものなのです。
「ベルゼベル」とは、異教のエクロンの神「バアル・ゼブブ」から派生した言葉で、意味は「ハエの主」、あるいは「ハエの神」と言うことです。これは、軽蔑の何ものでもありません。
パリサイ人や律法学者たちは旧約聖書に通じています。この言葉は、第Ⅱ列王記に出て来るのです。
『アハブの死後、モアブがイスラエルにそむいた。さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、
「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい。」と命じた。その頃、主の使いがティシュベ人エリヤに告げた。
「さあ、上って行って、サマリヤの王の使者たちに会い、彼らに言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、主はこう仰せられる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」(第Ⅱ列王記1:1~1:4抜粋)』と書かれています。
しかも「エリヤ」こそ、ユダヤ人がもっとも敬愛する預言者なのです。パリサイ人や律法学者たちは、この箇所から、主イエスとその弟子たちを、そのように呼んだのです。
まさに「無知」の何ものでもありません。彼らが呪い、軽蔑しているお方こそ、真の創造主なる神様であり、彼らが待ち望んだメシアなのですから。》