◎本日の聖書箇所【使徒の働き8章34節~40節】
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。
8:36 道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
8:37 【本節欠如】
8:38 そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
8:39 二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
8:40 それからピリポはアゾトに現れた。そして、すべての町を通って福音を宣べ伝え、カイサリアに行った。
◎メッセージ【エチオピアの宦官のバプテスマ】
《「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
エチオピアの宦官が、イザヤ書53章に書かれた預言が、自分に降りかかることを恐れていた事が分かります。すると、ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、主イエス様の福音を彼に伝えました。すると道を進んで行くうちに、水のある場所に来たのです。
「見て下さい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 8章37節は割愛されています。それは異本には存在しますが、権威あるギリシャ語写本には書かれてはいないからです。その節とは、
『そこでピリポは言った。「もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。」すると彼は答えて言った。「私はイエス・キリストが神の御子であると信じます。」』と、言う文章であって、この節があった方が読者には親切です。
宦官は馬車を止めるように命じました。そしてピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、宦官はバプテスマを授かったのです。
ピリポが授けていたバプテスマは、主イエスが使徒たちに命じたバプテスマでありました。しかし、サマリアの人々にピリポが授けた時には、聖霊は降られなかったのです。今回、ピリポには恐れと、サマリアの出来事から受けたであろう心の傷も残っていたとも考えられます。神様は、エチオピアの宦官によってピリポの心の傷とわだかまりを癒そうとされました。
そしてこの時、奇跡が起こります。何と主の霊がピリポを一瞬にして、他の場所に移されたのです。主イエス様も何度か、その奇跡を行なわれました。
エチオピアの宦官はピリポを見ることはありませんでしたが、彼は喜びながら帰って行きました。主の霊が訪れたこと、そして宦官が喜びながら帰って行った事から、ピリポによるバプテスマによって、救いと聖霊のバプテスマを同時に授かったことが分かります。
その後、ピリポはアゾトに現われたとあります。アザトとは、旧約時代におけるペリシテ人の町アシュドデのことです。「すべての町を通って」とは、かつてのペリシテ人の5大都市のことです。
それからピリポはカイサリアに行き、長らく留まり、教会を立てあげます。ピリポはそこで所帯を持ち、四人の娘たちが生まれるのです。
さて、最後になぜこの出来事が「使徒の働き」に記されているのかと言いますと、それは、二十数年後に、ルカとパウロがカイサリアに行き、ピリポの家に長い期間にわたって世話になるからです。その時に、エチオピアの宦官の事を彼らは耳にします。そしておそらく、ルカが福音書と使徒の働きを執筆した時、その宦官は存命していたと思われます。それゆえ、彼の名前が伏せられているのです。なぜなら、その宦官を通して、エチオピアに大きなリバイバルが起こされたからです。そしてそのリバイバルの切っ掛けは、ピリポが遣わされたことによるのです。神様は、このように、一人の人を用いられて大きなことをなさいます。》