◇◆◇日々のみ言葉
2021年5月21日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書13章18節~23節】
13:18 「ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
13:19 御国の言葉を聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
13:20 また岩地に蒔かれるとは、み言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、み言葉のために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、み言葉を聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみ言葉をふさぐため、実を結ばない人のことです。
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、み言葉を聞いてそれを悟る人のことで、その人は本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
今日は、現代訳を掲載します。ここから主イエスが弟子たちに、「種を蒔く人」のたとえについて解き明かされたことの真意を、くみ取って行きたいと思います。
『「ですから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。それを解き明かしましょう。
道ばたに蒔かれた種の場合には、御国の言葉を聞いても悟らないでいるために、悪魔が来て、その人の心に蒔かれたみ言葉の種を奪い去ってしまう人のことです。
石地に蒔かれた種の場合は、み言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れはしますが、自分のうちに根がないため、しばらくの間だけのことで、み言葉のために艱難や迫害が起こってくると、すぐにつまずいてしまう人のことです。
いばらの中に蒔かれた種の場合は、み言葉を聞くことは聞きますが、この世の思い煩いや、富の惑わしがみ言葉をふさいでしまうと、実を結ばなくなってしまう人のことです。
ところが、良い地に蒔かれた種の場合は、み言葉を聞いて悟る人のことです。その人は本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(現代訳マタイの福音書13:18~13:23)』
この解き明かしから、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。それは、「み言葉」に対する、その人の態度ではないでしょうか。
私たちクリスチャンは、常に何かを選択しなければならないような岐路に立たされる時があります。その時に、何を選択するかが問われることになります。
人は、何もかもが順風満帆であれば、その人が何を基準として人生を歩んでいるかは得てして分からないものです。
しかしいったん困難や苦難、そして迫害や様々な問題が自分の身に起こって来ますと、その人が真に頼りにしているもの、あるいはその人の拠り所が、自ずから判明して来るものなのです。
その時、主イエスの弟子である私たちは、「み言葉」を第一にすべきであることを、主は、ここで教えておられます。
簡単に「み言葉に従う」と言いましても、これがなかなか難しいのが現実です。しかし、主イエスは命じられます。「私に従ってきなさい」と。
主イエスに従うこととは、み言葉に従うことなのです。そして、そこにこそ、解決の道が用意されているのです。》