◇◆◇日々のみ言葉
2021年7月5日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書16章1節~4節】
16:1 パリサイ人やサドカイ人たちがみそばに寄って来て、イエスをためそうとして、天からのしるしを見せて下さいと頼んだ。
16:2 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる。』と言うし、
16:3 朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。
16:4 悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」そう言って、イエスは彼らを残して去って行かれた。
◎ショートメッセージ
《私たちは、数日間をかけて、主イエスが行なわれた「四千人の給食」の奇跡について学んで来ました。
四千人とは、男性の数であって、女性と子どもを入れますと、一万人以上の群衆であったと伝えられています。
その中に紛れていたのか、あるいは距離を置いていたのか、どちらなのかは分かりませんが、パリサイ人やサドカイ人たちがいたと言うのです。
「パリサイ人」とは、パリサイ派に所属している律法学者のことであり、「サドカイ人」とは、サドカイ派に所属している祭司たちのことです。
ユダヤ最高議会は、おもにこの二つの勢力が均衡して、七十人議員を構成していました。よって彼らは、偶然に居合わせたのではなく、エルサレムから遣わされて来ていた議員と言うことになります。
彼らは「四千人の給食」の奇跡を体験することが出来なかったと信じます。つまり、彼らはパンも魚も口にしなかったと言うことです。彼らは、何時も神様の恵みと哀れみをないがしろにして来たのです。
この議員の中から救われたのは、サウロは別として、ニコデモとアリマタヤのヨセフ二人だけでした。
しかし、サウロの師ガマリエルは、後に伝道者パウロとなる愛弟子サウロによって、その死の直前に救われたと信じています。
さて、パリサイ人やサドカイ人たちが主イエスのそばに寄って来て言いました。
「私たちに、天からのしるしを見せて下さい。」と。
これは、主イエスを神の御子として、信じ求めていることから出たのではありません。マタイが書き記していますように、「ためそうとして」持ちかけて来たのです。
しかも悪意に満ちており、主イエスを訴え、捕らえる為の口実にしようと言うわけなのです。
彼らは、当時最も旧約聖書に通じていたのに、預言された「メシア」が、目前におられるのに、なぜ分からないのでしょうか。
それは、真理は霊的な目を持って見なければ分からないからです。今も同じです。聖書学者が、いかに聖書を勉強し、その内容に通じていたとしても、本人の救いとはまったく別なのです。
何度も言いますが、人が救われることこそ最大の奇跡です。主イエスを神の御子として心から信じ、自分の罪を悔い改めて、十字架の身代わりの死を受け入れ、自分の口で「イエス・キリストは私の主である」と告白することは、神様の哀れみと恵みであって、奇跡の何物でもないのです。》