◇◆◇日々のみ言葉
2021年7月29日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書17章7節~8節】
17:7 すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。
17:8 それで、彼らが目を上げて見ると、誰もいなくて、ただイエスおひとりだけであった。
◎ショートメッセージ
《「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
シモン・ペテロは感極まって叫びました。彼がこう言っているうちに、光輝く雲が見る見るうちに湧き上がって、主イエスとモーセとエリヤをおおったのです。それを見た弟子たちは恐ろしくなりました。
そして、その雲の中から厳かな声が響いたのです。雷のようなとどろきの声が。
「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」
ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネは、この声を聞くと、ひれ伏して非常に恐れて震えあがりました。
そこへ、主イエスが来られます。主は、一人一人に手を触れて、言われました。
「起きなさい。こわがることはない。」
私たちの主は、このように手を差し伸べて下さるお方なのです。そして主イエスの言われた言葉こそ、私たち一人一人を勇気づけて下さるものです。
私たちは、試練に遭いますと、立ち上がることが出来ない状況に追い込まれることがあります。その時、主は手を差し伸べて、「起きなさい」と言われるのです。私たちのすべきことは、その言葉を信じて「立ち上がる」ことなのです。
そして、次に言われたことは、「こわがることはない」と言うことです。つまり「恐れるな」と言うことなのです。
目に見える状況から、確かに私たちは恐れます。しかし、目に見えるものではなく、目に見えないもの、すなわち主イエスの御顔を仰ぎ見る時、私たちは勇気を持って立ち上がることが出来るのです。
そして、立ち上がった彼らが見たものは何でしょうか。
『それで、彼らが目を上げて見ると、誰もいなくて、ただイエスおひとりだけであった』。
主イエスだけなのです。このお方だけが、私たちが見つめ続けるべきお方なのです。
モーセとは「律法」を指します。エリヤとは「預言者」を指します。当時は旧約聖書を「律法と預言者」と呼んだのです。つまり、旧約聖書は、主イエスのことについて書かれた書物であることを、父なる神様は、視覚的に弟子たちに示されたのです。》