• 日々のみ言葉 2021年8月25日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年8月25日(水)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書18章15節~16節】
    18:15「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、二人だけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。
    18:16 もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人を一緒に連れて行きなさい。二人か三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。」

    ◎ショートメッセージ
    《ここから、主イエスは「教会の戒規」について教えられています。

     現代訳を掲載します。
    『「また、もし信者の誰かが罪を犯したなら、行って、彼と二人だけの所で忠告しなさい。もし聞き入れてくれたら、あなたはその人を得たのです。もし聞き入れてくれないなら、さらに一人か二人の人と一緒に行きなさい。二人か三人の証人の口によって、すべてのことが確認されるためです。」(現代訳マタイ18:15~18:16)』と、なっています。

     新改訳の訳では、上目線の立場であるように書かれているような気がします。罪を犯した者をただ責めるだけなら、パリサイ人や律法学者たちと同じです。
     どんな人でも、罪を責められると、心を頑なにし、自分は悪くないと主張して、認めようとはしないものです。
     毎日のように、ニュースで、犯罪を犯した人が逮捕されたことが報道されていますが、ほとんどの人が黙秘したり、あるいは、「知らない」「覚えていない」などとしらばっくれる場面が、日本では日常茶飯事に見受けられます。これが人間です。これが罪なのです。

     「責めること」と「忠告すること」とは、まさしく180度違うことのように思えます。忠告することは、同じ立場で、しかも相手のことを思いやって、罪の悔い改めを迫ることだからです。また「責めること」は、断罪することであって、そこには裁きしかありません。
     確かに、この箇所から、主イエスは「教会の戒規」について教えておられます。現代訳で、「その人を得た」と言う解釈は、友を得たと言うことでもあります。

     次に、「二人か三人で行きなさい」と言うことですが、これが最後通告になるかも知れません。大切なことは、その人が犯した罪を、教会員の2名か3名以上の者で、その事実を確認しなさいと言うことです。
     そして、あくまで「悔い改め」を迫ることです。また、主の御名によって、二人でも三人でも集まる所には、主イエス様が共にいて下さいます。また、慰め主であり、真理の御霊なる聖霊が臨在して下さいます。このお方が罪を示して下さるのです。

     主の御前で悔い改めることが、非常に重要なことなのです。教会に集っていても、誘惑に負けてしまい、罪を犯してしまう場合があります。多くの場合、主イエス・キリストから、目や心が離れた時が危ないのです。
     私たちは、まだあがないの完成途中にいます。私たちの目標は、主に似る者となることです。そして主にお会いすることなのです。》

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