◇◆◇日々のみ言葉
2021年8月29日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書18章21節~22節】
18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとは私は言いません。七度を七十倍するまでと言います。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、教会の戒規について学んでいます。
主イエスは言われます。
「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、二人だけの所で責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、他に一人か二人を一緒に連れて行きなさい。二人か三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」
このたとえを聞いて、シモン・ペテロが主の御もとに来て尋ねたのです。
このたとえの中に、罪を犯した兄弟が「聞き入れた」と言うことは、悔い改めたと言うことを指しています。
そしてシモン・ペテロこそ、主イエスに対して犯した罪を、じかに主に赦していただくことになる人物なのです。
言うまでもなく、四つの福音書のすべてに書き記されている大祭司カヤパの家の庭において、鶏が鳴くまでに主を三度、「知らない」と否むことです。
ペテロは、ここで完全数の七を用いて言っています。それは、主からのお褒めの言葉をいただきたかったかも知れません。
「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
その問いに対して、主イエスは言われます。
「七度まで、などとは私は言いません。七度を七十倍するまでと言います。」
これは、490までと言う限度・限界のことではありません。完全数かける完全数ですから、「限りなく」と言う意味なのです。
主イエスは、「七度を七十倍」、すなわち無限大に赦すべきことを言っておられるのです。もちろん、相手が悔い改めたらの話ですが。
主イエスは、十字架の血潮によって、シモン・ペテロが生まれてから犯して来たすべての罪を、それこそ本人が数え切れないほどの罪を赦されることになります。しかし、この時点においては、まだ先のことになるのですが。》