• 2021年8月29日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き11章19節~24節】(新約p.257上段右側)
    11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみ言葉を語らなかった。
    11:20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
    11:21 そして、主の御手が彼らと共にあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。
    11:22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
    11:23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
    11:24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。

    ◎メッセージ【慰めの人バルナバ】
    《ルカは、バルナバの働きの大きなターニングポイントについて、書き記しています。この時は紀元46年~47年の頃だと思われます。さて、ステパノの殉教は、紀元33年~34年の頃のことで、その時からサウロによる迫害が始まりました。
     サウロによって散らされた人たちは、福音を伝えながら巡り歩いたのです。散らされた人々の中には、キプロス島出身のキプロス人、そして北アフリカのリビヤの海岸都市クレネ出身のクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えたと言うのです。そのクレネ人の中には、主イエスの代わりに十字架を運んだシモンもいたのではないでしょうか。
     マルコの福音書には、『兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。』と書かれているのです。
     紀元48年には、正式にアンティオキア教会が誕生します。ルカによりますと、
    『アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。』と書かれており、このシメオンこそが、クレネ人シモンと同一人物の可能性が非常に高いのです。
     さて、エルサレム教会はバルナバをアンティオキアに送ります。バルナバはエルサレムに教会が誕生した時には、すでに存在していました。また伝承では、主イエスの公生涯初期において、使徒に選ばれた十二弟子に続く六十人の弟子の中の一人とも言われています。彼はキプロス生まれのレビ人で、本名はヨセフでしたが、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていました。
     また、サウロがダマスコ途上において劇的な主イエスとの出会いから、三年後にようやくエルサレムに戻った時に、彼の面倒を見たのがこのバルナバでした。
     ところで、バルナバはなぜこの時まで、エルサレムに留まっていたのでしょうか。これは推測ですが、エルサレム教会のギリシャ語を話すやもめたちを、殉教したステパノに代わって執事として面倒を見ていたのではないでしょうか。その根拠は、何かと言いますと、11:24 には、『彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。』と書かれているからです。何とステパノも同じ表現で、書かれているのです。『彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ選び、』と。
     バルナバがアンティオキアに到着しますと、様々な神様の恵みを見て喜んだのです。そして、彼らに心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ましたと言うのです。主にとどまることがとても大切です。私たちも、何があったとしても主イエスに留まらなくてはなりません。そしておそらく、アンティオキアの主にある兄弟姉妹たちは、バルナバに、この地にとどまってくれるように、願ったのではないでしょうか。こうして、さらに大勢の人たちがバルナバによって導かれたのです。バルナバは、この地に根を下ろすことになります。そして、アンティオキア教会から、パウロとバルナバのチームが、異邦人伝道旅行へと派遣されて行くのです。》

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