◇◆◇日々のみ言葉
2021年8月30日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書18章23節~27節】
18:23「このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。
18:24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王の所に連れて来られた。
18:25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。
18:26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予下さい。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。
18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。」
◎ショートメッセージ
《ここから、有名な「一万タラントの借りのあるしもべ」のたとえ話になります。
まず「一万タラント」ですが、これは当時の世界では、王の身代金に匹敵すると言われています。
一タラントは六千デナリのことです。一デナリは、当時の労働者に一日の仕事に支払われる賃金のことを指しています。つまり、六千デナリとは、ひとりの人の六千日分の賃金になります。その一万倍の額が「一万タラント」なのです。デナリにしますと六千億デナリとなります。
つまり、神様の側から見ますと、人間ひとりの罪は、それほどに多く、また数え切れないほどの負債と言うわけです。もちろん、この金額をしもべは支払うことができません。
それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、
『どうかご猶予下さい。そうすれば全部お払いいたします。』と言ったと言うのです。
すると、何と、しもべの主人である地上の王は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を全額免除してやったと言うわけです。何と寛大な主人であることでしょうか。六千億デナリの負債を免除したと言うのですから。
さて、このたとえ話の解釈は、明日以降にしまして、まず「精算」について考えて見たいと思います。
このたとえ話の中で、「地上の王」と言われたのは、紛れもなく主イエスのことです。主はすべての人の主であられますから、当然私たち人間は、誰であったとしても、「しもべ」なわけです。
すなわち、すべての人の地上における人生、あるいはその一生の精算があることになります。
まず最初の精算は、主イエスが再臨された時になされます。そして、最後の精算こそが「白い御座のさばき」の席となるのです。
このしもべは、主の十字架によって流された尊い血潮によって、罪赦された私たちクリスチャンを表わしています。私たちは、私たちの身代わりとして、主イエスが十字架上で死んで下さったことを知っています。明日は続きとなります。》