◇◆◇日々のみ言葉
2021年9月4日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書19章3節~6節】
19:3 パリサイ人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、こう言った。「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」
19:4 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、
19:5 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
19:6 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
◎ショートメッセージ
《昨日からマタイの福音書の学びも、19章に入りました。
主イエスは、カペナウムのシモン・ペテロの家に寄られました。その時、十二使徒に向けて、「一万タラントの借りのあるしもべ」のたとえを話されたのです。「この話を終えると、ガリラヤを去って、ヨルダンの向こうにあるユダヤ地方に行かれた。」と書かれてありますが、その日は、そこに宿泊され、ペテロのしゅうとめや妻による、手厚い持てなしを受けたと思われます。
次の日の朝早く、主イエスと弟子たちの一行は、カペナウムをあとにし、ペレヤに向かいました。ペレヤはガリラヤ湖の下の方角になりますから、もしかしましたら、群衆を避ける為に、シモンの持ち舟に乗って、向こう岸に行かれたのかも知れません。そして向こう岸に着きますと、主だと分かってしまい、大ぜいの群衆がついて来たのです。そこで病の者、不具合の者たちをいやされたと言うわけです。
しかし、その群衆の中に、パリサイ人や律法学者たちが混じっていました。彼らは、しつこく主イエスの後を付け回し、何としても主イエスを葬り去る為に、言葉じりを捉らえようとしていたのです。そして、御もとに近づいて、質問を投げかけます。
「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」
律法には、夫が妻が気にくわない場合には、離婚できる権利が書かれています。そのことを用いて、主イエスを試みようとしたのです。
その問いに対して、主イエスは同じように問いを用いて答えられます。
「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。」と。
もちろん彼らは読んでいます。良く知っています。
律法に関しての質問には、律法を用いて答えられたのです。
「それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」と言われたのです。
実は、結婚こそ、主イエスと教会との関係を比喩しているのです。花婿は主イエスであり、花嫁が教会だからです。やがて花婿が花嫁を迎えに来る日がやって来ます。
なぜなら、それがユダヤの結婚式だからです。次の預言の成就は、携挙です。》