◎本日の聖書箇所【使徒の働き11章25節~26節】(新約p.257下段右側)
11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
11:26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
◎メッセージ【キリスト者(クリスチャン)と呼ばれ】
《ステパノの殉教後、サウロによってエルサレムから散らされた信徒たちの中に、キプロス人とクレネ人がいました。彼らが、アンティオキアに来ますと、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えたのです。すると、主の御手が彼らと共にあったので、大勢の人が信じて、主イエスに立ち返ったのです。
この知らせが、エルサレム教会にもたらされますと、牧師であるヤコブと使徒たちは、聖霊と信仰に満ちた人、バルナバをアンティオキアに遣わしました。バルナバは、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ましたのです。さらに彼によって、大勢の人たちが主に導かれました。ここからも分かりますように、アンティオキア教会の土台を築いたのはバルナバです。
さて、バルナバは、ほぼ二年間一人で教会の信者の指導を行なって来ました。しかし働きを手助けをしてくれる協力者の必要が急務になったのです。この時、聖霊がバルナバに働きかけたに違いありません。バルナバは、10年ほどの前のことを思い出したのです。それは迫害者サウロが伝道者としてエルサレムに帰還した時のことです。誰も見たがらなかったサウロの面倒を見たのはバルナバでした。しかし、ユダヤ人たちはサウロを殺そうとし、それを知った兄弟たちは、彼をカイサリアに連れて下り、タルソへ送り出したのです。
それからサウロは、生まれ故郷のタルソを中心として、シリアおよびキリキアの地方伝道していたのです。バルナバはサウロを捜しに行きます。アンティオキアからタルソまでは160キロほどの距離です。そして主と聖霊の導きによって、ついにサウロを見つけ出し、連れて帰ります。サウロの加入によって、アンティオキア教会はさらに発展を遂げて行くことになるのです。
「キリスト者」とはギリシャ語で、「クリスチアノス」と言います。「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」とルカは書き記していますが、この呼び名が弟子たち自身によって考えられたのか、アンティオキアの異教徒によってつけられたのか明らかではありません。しかし2世紀になると教会は、「キリスト者」という言葉を誇りを持って使うようになります。
バルナバがサウロをアンティオキアに連れて来てから一年後の教会は、異邦人伝道の中心教会として大いに成長して行きました。ルカは、
『さてアンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。』と書き記し、筆頭にバルナバがあげられています。彼が指導者であることは明白な事実です。
ところで、「キリスト者」とはどのような意味なのでしょうか。それは、主イエスに似た者であると言う意味です。バルナバは、まさしく聖霊と信仰に満ちている指導者でありました。 彼だからこそ、サウロを再びエルサレム教会に結ぶ付けると共に、新約時代の表舞台に立たせることが出来たと言えるのです。
さて、パウロはコロサイ人への手紙にて、すべてのキリスト者に向けて勧めています。
『あなたがたは古い人をその行ないと共に脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。』と。
私たちはみな、御霊なる主の働きによって、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。キリスト者(クリスチャン)は、この世とは分断された存在です。
しかし、この世に置かれ、この世に生かされています。それは、真っ暗闇の世界の中に、灯る一筋の明かりであり、また腐敗して行く世を、少しでもその速度を遅める働きを担っています。また、その名に相応しい良い行ないによって、人々に示して行く必要があります。そうすることによって、どれほど真の神様は喜んで下さるのでしょうか。私たち一人一人は、神様の喜ばれる存在なのです。私たちには、それぞれ使命が与えられています。》