◇◆◇日々のみ言葉
2021年9月12日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書19章21節~26節】
19:21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、私について来なさい。」
19:22 ところが、青年はこの言葉を聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
19:23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
19:25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、誰が救われることができるのでしょう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
◎ショートメッセージ
《すると、ひとりの青年で役人である人が主イエスのもとにひざまずいて言いました。「尊い先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。
「なぜ、私を『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、誰もありません。また良いことについて、私に尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、永遠のいのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
「どの戒めですか。」
「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
青年はイエスに言った。
「そのようなことはみな、小さい時から守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
前半部分を、三つの共観福音書からまとめて見ました。そして後半部分が、本日の聖書箇所となります。
まず、この役人である青年ですが、
「そのようなことはみな、小さな時から守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と答えますが、これは傲慢から来るのではなく、本当に彼自身、努力に努力を重ねて、幼い頃から忠実に守って来たからこそ、言える言葉だと思います。
以前、マルコとルカの福音書からの「日々のみ言葉」の学びの時にも、書き記しましたが、この人物こそ、若きサウロであったと私は思っています。
サウロは、紀元5年頃にタルソで生まれました。主イエスは、紀元前5年もしくは6年頃にベツレヘムにおいて生まれたと言われていますから、主イエスとサウロの年の違いは、大体10年くらいになるはずです。
となりますと、この時サウロは、21才か22才であることになります。彼は、両親と妹と共に紀元10年頃にエルサレムにやって来ます。それからエルサレムに留まって、ガマリエルの指導を受けるのです。
よって、主イエス様と面識がない、あるいは「ナザレのイエスの十字架事件」を知らない、と言うようなことは、どう考えて見ましても有り得ないことなのです。明日も同じ箇所からです。》