◇◆◇日々のみ言葉
2021年9月21日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書20章8節~16節】
20:8 「こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
20:9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
20:10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
20:11 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
20:12 言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』
20:13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
20:14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
20:15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
20:16 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」
◎ショートメッセージ
《主イエスが言われた「ぶどう園の農夫」のたとえ話の後半になります。
ユダヤの夕方は二通りあります。第一の夕方は、午後三時頃です。つまり太陽が西に傾きかける頃となります。第二の夕方は、文字通りの夕方です。午後六時頃でしょうか。 何と、このぶどう園の主人は、最初の夕方の時にも人を雇いに行っているのです。午後六時と言えば、もう新しい一日が始まります。ぶどう園の主人は、監督官に命じます。おそらく、監督官とは、御使いを示していると思われます。
「労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。」
ここで面白いことに、順番が逆になっています。最初から来た者、すなわち朝早くから働いた者からではなく、一番最後に来た者から賃金が支払われたのです。
まず初めに、午後五時頃に雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらいました。次に午後三時頃に雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらいました。そして、正午の十二時頃に雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらいました。さらに、午前九時頃に雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらいました。最後に、午前六時から働いている者たちの番になったのです。彼らは、文字通り一日中働いたのです。それゆえに、もっと多くもらえることを期待したのです。しかし、彼らに支払われたのは、みなと同じ一デナリでした。
彼らは、ぶどう園の主人に対して異議を申し出ます。
「この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。」
彼らが、このように思うのも当然と言えば当然でしょう。しかし、ぶどう園の主人は、
「私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。」と言うのです。
ぶどう園の主人に対して文句を言った者たちこそ、主イエス様に文句を言った十二使徒たちです。彼らの心の状態を、このたとえを用いて、気づきを与えておられるのです。 そして、さらに言われます。
「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。」と。
「報い」は、主イエス様が与えて下さるのです。そして、私たちに対する恵みは、皆同じであることを教えているのです。》