◇◆◇日々のみ言葉
2015年6月26日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書1章12節~13節】
1:12 そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。野の獣とともにおられたが、御使いたちがイエスに仕えていた。
◎ショートメッセージ
《「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」「あなたは、私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」父なる神の声を、主イエスは聞かれた。そしてバプテスマのヨハネも。そしておそらく、その時ヨハネの弟子であったアンデレと、主の愛された弟子ヨハネも聞いた、聞こえたと、私は信ずる者である。実はもう一人、この声を聞いた者が、確実に存在した。それは悪魔と呼ばれるサタンである。「サタン」とは、「告発する者」という意味である。鳩のように主イエスに降って来られた御霊、聖霊なるお方は、主イエスをなぜか荒野に追いやられた。マタイとルカは、平行記事としてさらに詳しく、その福音書に書き記している。マタイとルカは、「御霊に追いやられた」のではなく、「御霊に導かれた」と、書き記している。荒野にて、主イエスは、悪魔との戦いの第一ラウンドを迎えたのである。四十日四十夜、主イエスはサタンにあらゆる誘惑を受けられた。そして最後に最大の3つの誘惑をサタンが仕掛けて来たのだ。しかし主イエスは、み言葉を持ってサタンを退けられた。聖霊なるお方は、時々私たちを、荒野に導く時がある。荒野こそ静まる場所であり、また神に出会う場所でもある。主イエスが、このようにサタンに誘惑を受けるのであれば、その弟子たる私たちも、いつでも誘惑のわなが、仕掛けられている、と言っても言い過ぎではない。主が、聖書の言葉(み言葉)によってサタンを退けられたように、私たちにもその権威が与えられている。その時こそ、み言葉に従って、主イエスの御名を唱える権威を使うべき時なのである。「主イエスの御名によって命じる。引き下がれサタン!」と。荒野での四十日四十夜に渡るサタンの誘惑を主イエスがお受けになった時、主は一人ではなかった。御使いたちや、野の獣が共におられたと言う。私たちには、誰であっても試練や誘惑が訪れる。その時に、私たちは決して一人ではないのである。なぜなら、主が共におられるからである。「助け主」であられる「聖霊なるお方」が共に、いてくださるのだ。》