◇◆◇日々のみ言葉
2015年6月27日(土)
◎聖書箇所 【マルコの福音書1章14節~15節】
1:14 ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
◎ショートメッセージ
《マルコは、バプテスマのヨハネが、国主ヘロデに捕らえられた後、主イエスがガリラヤに行き、福音を宣べ伝えた、と書き記している。しかしヨハネの福音書では、まだ捕らえられる前から、主イエスが弟子たちと共に、すでに福音を伝えており、主イエスの弟子たちが、バプテスマを人々に授けている場面が描かれている。しかもバプテスマのヨハネが、バプテスマを授けていた時期と重複していたことを述べている。マタイ・マルコ・ルカにおける3つの共観福音書と、第四福音書とに違いが見られるが、使徒ヨハネが、3つの共観福音書を熟知しており、その付け加えとして、詳細に書き記したと思えば、十分に納得できるものである。ここで主イエスは、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われた。神の国とは、神様なるお方が総べ治める国のことを指す。主イエスこそ、王の王、主の主であられるお方である。主イエスのおられる所こそ「神の国」である。やがて、主イエスが統治される「千年王国」がやって来る。この預言は、未だ成就してはいないが、神の御国に入るには、「悔い改め」が必要であり、「福音」(良き知らせ)を信じなければならないのである。「悔い改め」とは、自分が「罪人」であることを認識することである。そして、その罪を告白し、捨て去ること、手放すことである。「福音」とは、イエス・キリストを、「主」「神の御子」「救い主」として、受け入れ、心の奥底から信じて、自らの意思で口で告白することである。その時、その人に「永遠の命」が与えられる。「神の国」に入るチケットが手渡されることとなる。今日の聖書箇所の言葉は、今生きている私たちにも投げかけられている。まことに、主イエスの生きたみ言葉である。「悔い改めは、過去にもうやった。もう私は悔い改める必要はない。」と言う人がいたら、その人は聖書のみ言葉をないがしろにしていることとなる。私たちは日々悔い改める必要がある。なぜならば、今でもこの肉体は贖われておらず、私たちの自我は死んでいないからである。「主よ。お許しください。」と、主の御前に進み出るだけではなく、もし人に対して罪を犯したのなら、その人の前で謝罪する必要があることは言うまでもない。クリスチャンは、確かに主の御前にて悔い改めるのなら、罪は赦していただけるのはもちろんだが、その刈り取りと責任は、負わなければならない。》